okite910nete1820’s blog

歴史が嫌いだった自分が学び直して、簡単な歴史の地図を作ってみます。

日本の産業革命と文化 【22/30】

今日は当ブログの本題、作成中の年表地図の22ページ目

 

”日本の産業革命と文化

 

になります。

歴史年表地図もいよいよ全体の2/3を突破し、残すところ1/3になってしまいましたね。少しずつ一歩ずつゴールは近づいて来ています!

 

 今回も勿論、あくまで歴史初心者的な目線で見ていきますのでご了承ください😅。

内容途中に誤字や間違いなども,きっと見落としや勘違いなどもあるかもしれませんが、あくまで自家用として作成しているので、その辺はご勘弁。

 前回の日清・日露戦争、次のパートの第一次世界大戦(WW1)、そして今回の日本の産業革命と文化は、時間軸的にはほぼ、同時期の出来事のパートになります。

 

 戦争のさなかの日本国内の情勢、人々の暮らし、内政、文化。そんな部分に目を向けたパートになると思って下さい。

 

日本は明治維新後、世界的に見ても驚異的なスピードと、異次元的な成長を遂げ、アジアの列強国の地位を、これまでの僅かな短期間の内に手にしました。

 

全体の流れは丸竹夷さんを見れば完璧に理解出来ます!。


www.youtube.com

 

 本当にこれだけの短期間の内に、これだけ日本が成長出来たという事は、きっと、先人たちの統治の方法や、内乱の少なさ、国民性など、素人ながらに見ても様々な要因が考えられると思いました。また、日本が海外列強国の植民地にされなかった理由などとも、大いに重なる部分があると思います。

 

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 しかし、しかしです。これだけ急激に変化をするという事は、必ずと言って良い位、

 「 歪み 」 と言う物を生み出すのです。これは現代にも大いに通じるもので、某車会社などが破竹の成長を遂げた ””光”” と、歪みの部分の ””大きな闇”” の事象を連日のニュースで見せつけられ、急激な成長の ””影”” の部分を目の当たりにしたのも記憶に新しいと思います。

 

 わずかな期間で、他社の追随を許さぬような急成長を遂げた源の部分にスポットを当ててみると、まぁ ”ゴルフボールで車を叩く” みたいな事は実際あったのでしょうが、流石にゴルフボールで叩いた位ではあれだけの急成長はしないでしょう。叩き間に合いません💦。

 

 それよりも、もっと深い部分のお話‥‥。損保会社との ”ズブズブ” や 国の関係省庁との ”ズブズブ” も有ったとか無かったとか‥‥。まぁ真実は闇なので、あえてボカシておきましょう。

 

 まぁ実際半世紀近く生きて来て、実社会を見て来ましたが、どうやらこの都市伝説的な ””ズブズブ”” は世の中いたるところにあるような気がしてなりません。まぁ実際 ””ズブズブ”” を見たわけでは無いので、あくまで自分の ”仮定” でお話してしまっていますけどね。なんか ””ズブズブ”” って妖怪にでも居そうなネーミングですよね(笑)。何回ズブズブ言ってんですかね(笑)。

 

Mud Monster 妖怪ズブズブ(By IMAGE CREATOR

 

 この時代にもですが、その ””ズブズブ”” により光が煌々と当たる場所とは裏腹に、対局の部分 ”影” となる部分が、大きな大きな問題となって来ます。その辺りを現代の出来事などとリンクさせ、意識しながら見て行くと、このパートは理解しやすくなると思います!。

 

はっきり言ってここからの時代は、

 

カネ権力ズブズブ

 

三種の神器により歴史が作られて行く事となります。まぁこの辺りは今でもさらには前の時代にもなんだ大きな変化は無いのかな??(笑)。と個人的意見ですが思ってはいますけどね‥‥。 さらにと言えばいいのかな。

 

この時代のザックリとした流れと、一番の重要な事は何か?

 

この時代、ザックリな流れで行くと

 

一番重要な事、流れは、この後の時代へと繋がって行く 社会主義への弾圧” では無いでしょうか??。

 

 社会主義への弾圧と言い方よりも国の政治に対して都合の悪い方針や、思想とでも言った方が分かりやすいかもしれないですよね。国民が ”学” や ”知識” を付けた事による国の方針への不信感や反発を、国はこの先の時代まで、力で強引に抑え込もうとし、後の大正デモクラシーの時にもさらにその風潮は強くなり、太平洋戦争前には ”軍部” としてさらにその色は濃くなって行く事となります‥‥。

 

 何か、この辺りを見て、学び直しをしてみると、 ”現代” と言う現在であっても、この時代となんだ変わらない状態が続いているのではないかと考えさせられてしまいました。

さて、こちらが日本の産業革命と文化の標準年表になります 

 

 文明開化に伴い、日本も義務教育が始まり、国民全体の教育水準や、文化水準が大きく向上し、国民全体が賢くなり、大正デモクラシーへと繋がって行く‥‥‥。民主主義的思想が急激に広がりを見せ、国民に受け入れられる事となりました。また、イギリスの産業革命により生み出された、海外製の優れた機械なども日本にバンバカ輸入され、軽工業も、重工業も急激な発展を遂げました。

 

 この時代日本の経済の中心的人物であった、来年の ”新壱万円札” の肖像画ともなった 「日本近代経済の父」 とまで言われた ””渋沢栄一”” 氏。彼の功績は計り知れないのでしょう。

 

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 ただ一方でやはりこの ”英雄視論” はあくまで光の部分。穿った見方にはなってしまうのですが、ここまで経済界に力を持てた原因を、渋沢栄一の凄さを知って尚、知りたくなったのも事実です。どこかのデンツーの様な事はしないで、ここまでの地位を作ったのか?とか、表の顔だけでなく、総体的な人物像も知りたくなりました。

 まぁ日本の壱万円札の肖像になる位ですから、きっと純粋に ”素晴らしい” 人物なのかも知れないですよね。この辺りも後で深掘りノートに書いてあるので、通史の勉強が済んだら、人物的な深掘りなんかも面白そうだなと、思う今日この頃です。

 

こちらが歴史年表地図になります。

 

 

こちらはユーチューブの動画です。

こちらはユーチューブの制作の勉強を兼ねてやっているので完成度は低いです。
ただ形になっているだけなので申し訳ないです😫

 


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1.義務教育の開始からの

 明治の頃始まった義務教育は、日露戦争の頃にようやく普及してきました。出来た当初は4年制でしたが、何度も改正を繰り返して行き、現代の形へと成って行くのでした。この、教育を受ける事が ”義務” になった訳ですから、当然日本全体の教育水準が向上し、それにより様々な思想や研究、文学などが続々と花開く時代へとなって行きました。

 

2.第一次産業革命からの

 言葉の通り、一回目の産業革命になります。これまでの時代には手工業での生産が主流でしたが、その材料を作る過程をイギリスの産業革命により、機械で物が作れるようになりました。最初に発展したのは軽工業。主に紡績業になります。紡績業とは、繊維を糸にする産業や、製糸業全体の総称になります。

 

 原料を輸入し、機械を使い精製し、材料として外国に輸出して利益を上げる‥‥。こんな風に軽工業で日本は爆発的な成長を遂げる事となりました。

 

3.第二次産業革命からの

 軽工業が最初に発展した日本。次に発展したのは造船・金属・機械などの重工業が発達しました。官営(国が運営)の工場を操業させ、それを基礎とし、企業体が重工業分野に進出。今でも存続している財閥 三井・三菱・住友・安田などの ”財閥” を作り上げる事の一要因ともなりました。

 

 一方でこの ”急激な成長” とは、物事の捉え方としては ”光が当たる部分” での物言いや、捉え方になります。この ”急激な何か?” の様に、 ”急激” には必ずと言って良いほど歪みが生まれる事となります。この生まれたひずみが後の大きな問題を生むこととなって行きます‥‥。

 

 まず第一次産業革命でこの急激な成長を支えていたのは、人権や労働者の意思など関係無い様な、””超・ブラック”” な労働体制により構築されて行きました。労働力としてやり玉に挙げられたのは当時立場の弱かった女性陣‥‥。朝の早くから夜の遅くまで、兎に角、こき使われて、ボロボロになりながらこの急激な成長を下支えしていた事になります。

 

 二次産業革命では、国内外の情勢も合いまり、爆発的に成長。国営産業と言う事もあり、中枢組織内でのズブズブや、金の流れる部分での掌握の体制作りなどが構築され、 ”財閥” なる、金で金を生む構造体型を確立させた時代でもあったと思います。

 

 資本主義の駆け出しの時代。金を追い求め、金のためなら何でもやってしまうような構図は、もう既にこの時代から、いえ、何時の時代でもこの人間の欲望は変わらない物なのだろうと言う事は、そろそろ自分の中では確信的な物へとなりつつあります。

 

 一方で金の為なら何でもやる‥‥。そんな人間の欲が今までの時代には起きて来なかった、新たな問題を引き起こして行く事となります。

 

わが栃木県で起きた、日本で始めての大規模公害問題

 

足尾銅山鉱毒事件』 

 

足尾鉱毒事件 - Wikipedia

ja.wikipedia.org

 

 その時に作られた鉱毒を沈殿させる池が栃木県と、群馬県と、埼玉県の3県境(日本のスリーコーナーズ)にある渡良瀬遊水地になるんですね。

その遊水地にも行ってみました。その時の記事になります。

 

okite910nete1820.hatenablog.com

 

 

 産業革命により、時間軸は大きく変化し、経済範囲や、流通範囲、規模や全ての物事が、それまでの時代とは明らかに、目に余るくらいステージが変化してしまいました‥‥。

 

それらの欲は、さらに自然を破壊し、声を上げる者を弾圧し、今でも進行形で起こっている様な 『公害問題』 へと発展して行ったのでした。

 

 欲に駆られた人間はさらに ””もっと、もっと”” となり、まるで食べても食べてもお腹が空いている ”餓鬼” の様に一向に満足することなどない‥‥。それは今も言える事でしょうが、これはもう、 ””人間の特性”” ””人間の性”” として、受け入れるしか内のでは無いかと自分なりには思っています。諦めですかね‥‥。

 

 こんな風に時の急激な変化は、

 

  • 労働問題を作り
  • 人権問題を作り
  • 富める者はより富み持たぬ者は永遠に持てない‥
  • 環境を破壊し公害問題を起こし
  • お金による格差問題   

 

 などの様々な 『光の当たらない影の部分』 社会問題をさらに構築しました。

 

4.社会主義に対する弾圧みたいな感じでは無いでしょうか?

 この様に急激な発展は様々な社会問題を作り出しました。中でも資本家と労働者の格差問題を是正するために立ち上がろうとした 社会主義的思想”。 

 

『まぁ私見ですが、実際皆平等と言う考え方は、ある意味不平等でもあると思うので、本質的な社会主義の考えには触れませんが、やはりその当たりが社会主義が理想的な風に見えて、中々成功しない理由なのでは無いかと思ってしまいます。頑張る人も、頑張らない人も公平だよ!って言う方が不公平な気がしますけどね。まぁその辺が行き過ぎる資本主義の悪い所なのでしょうけどね‥‥。やはりこの辺は難しいですよね。』

 

 政府もこの様な思想が広がるのを嫌い、結成自体を弾圧してしまいました‥‥。

 

 この政府による弾圧は、この先の時代益々エスカレートして行き、最終的には軍国主義に転換する手助けをし、暴走する政府に口出が出来ない状態を作り出し、太平洋戦争へとリンクして行く事になります‥‥。反対意見や、自らの意見と違う者は排除する‥‥。まぁ数の原理や閣議決定でごり押ししている現在の政府との相違点を見つけられ無いのは自分だけなんですかね??自分だけ何でしょうね(笑)。

 

 

 

 さて、次の章は 第一次世界大戦 になります。

 

 『 ヨーロッパの火薬庫バルカン半島。そのボスニアの首都でオーストリアの皇太子がセルビア人によって暗殺された‥‥ 』

 

 でお馴染みのフレーズで始まる ”第一次世界大戦” 。歴史初心者の自分はこの様な事すらもほぼほぼ理解出来ておらず、学んで行く中で上記の事は ”1つのきっかけ” にすぎず、やはりこの戦争も起こるべくして起き、それらは全て人間の ”欲” によって引き起こされて来た物であると再確認する事ができました。

 

 やはりこの 第一次世界大戦” を理解するには、サラッとですがヨーロッパの歴史、世界史が頭に入ると一層理解が深まると思います。自分の場合漫画でですけどね(笑)。次回はその辺も紹介しつつお話を作って行きたいと思います。

 

最後まで読んで頂いた方、感謝します!。ではまたです🖐🖐🖐。