okite910nete1820’s blog

歴史が嫌いだった自分が学び直して、簡単な歴史の地図を作ってみます。

 世界恐慌と日本の中国侵略【25/30】

今日は当ブログの本題、作成中の年表地図の25ページ目

 

”世界恐慌と日本の中国侵略

 

になります。

歴史年表地図もいよいよ5/6に到達しましたね。残りは5単元となりました少しずつゴールの面影がぼんやり見えて来た気がします!

 

 今回も勿論、あくまで歴史初心者的な目線で見ていきますのでご了承ください😅。

内容途中に誤字や間違いなども,きっと見落としや勘違いなどもあるかもしれませんが、あくまで自家用として作成しているので、その辺はご勘弁。

 前回のパートでは大正デモクラシーと社会運動でしたが、時代背景的にザックリ捉えると、権利的な近代化が急激に進み、アジアでの列強国となった事により、国民一人一人の意識も向上し、さらに民主的な政治を行い、権利や富が、国民全体に分散されて来た時代だと思います。

 

 そのままの状態を維持出来ていればきっとこの先もめざましい発展を日本は遂げていたのかも知れません。

 

 でもそうは問屋が卸しませんでした‥‥。この時代、日本を苦しめた4つの出来事がありました。その日本を苦しめたものというのが、 ”” カネ ”” の問題でした‥。

 

 大正時代までのザックリとした流れとして、日清戦争の講和条約、下関条約により多額の戦争賠償金を手にした日本。その戦争賠償金を元に大規模な近代化を推し進め、その後の W・W・1 による戦争特需による日本の好景気‥。

 

 っとここまでは国中が好景気に沸き、活気がある状態でした。

 

 が、この後のW・W・1の終戦によりこの好景気は一気に様相を変えてしまいました。それまでヨーロッパでの戦争の激化からヨーロッパ内での生産が滞っていたものが、 W・W・1 の終結により回復をし、その付けがモロに日本を直撃しました。

 

 さらに追い打ちを掛けたのが ”日露戦争” でした。イギリスのバックアップがあった事や、ロシア国内の混乱(ロシア革命)により日本は何とか勝利はしましたが、戦勝国の特権である講和会議(ポーツマス条約)で日本はロシアより賠償金を貰えませんでした。

 

 日露戦争は結局日清戦争の時のように、国民が負担を強いられた分、見返りがあった戦争では無く、物資的にも、金銭的にも、国民の負担的にも、全てにおいて負担だけが残るような形の戦争になってしまったのです。

 

 その後も日本は ””財政”” において、相当に苦労する事となります。

 

 中田あっ君のYouTube大学。大分お世話になりました。

 


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この時代のザックリとした流れと、一番の重要な事は何か?

 

 この時代、ザックリな流れで行くと

 

 1番重要な流れは、太平洋戦争へと繋がって行く、政治の体制の変化の過程では無いでしょうか?。そこには前にも述べましたが、資本主義的思考の最たる物 ””金”” が大きく関わって来ます。

 

 この大正の終わりから昭和の初期。ここは日本の政治による統治が非常に不安定な状態に陥ります。大正デモクラシーによる民意の影響力の拡大や、度重なる不況、政治の汚職や不祥事による政治自体の問題‥‥。

 

 学生の頃は、この辺りが少しゴチャゴチャしすぎていて、とても分かりずらかったと同時に、この辺りは案外 ””サラッと”” 通過してしまった記憶しか無いので、実際は自分自身あまり理解は深い物ではありませんでした。

 

 ただ、学び直しをして見ると、

 

 『 太平洋戦争へ何故日本は向かって行ったのか?? 』

 

 と言う疑問の答えがここに有り、この辺りを理解することが出来たのは、この歳になってですが、今まで感じていた疑問に、答えが出せた気がしました。

 

 さて、こちらが世界恐慌と日本の中国侵略の標準年表になります 

 年表での経過している時間は僅か13年あまり‥‥。その僅か13年の時間の中で、日本の情勢は激変して行きます。

 

 大正天皇の崩御による昭和天皇への継承、政治的、内政的、金融的、外交的、これらの事が目まぐるしく入り乱れ、激変の時代を作り上げて行く事となります。

 

 ザックリ時代を見て見ると、

 

  •  戦後恐慌の影響が継続した状態で関東大震災が発生
  •  関東大震災の復興の為に、大量の予算を使い、さらに財政は悪化‥‥
  •  あの手この手を使い何とか回復の道を模索している所に世界恐慌が発生‥
  •  政治は内輪もめにて大混乱‥
  •  その中で軍部の力が増大して来る‥
  •  暴力による物事の解決が横行して行く‥‥

 

 こんな風に時代が流れて行きます‥‥。大正デモクラシーによって ””NO”” を突き付けられた ””藩閥政治”” 。民衆により選ばれたはずの政治 ””政党政治”” も結局は私利私欲の為に政治を行う始末‥‥。

 

 いつの世も、この思想は決して変わること無く、政治家は、国民の為に政治を行うのでは無く、自分達の為に政治を行うのです‥‥。

 

 こちらが歴史年表地図になります。

 

 

 

こちらはユーチューブの動画です。

こちらはユーチューブの制作の勉強を兼ねてやっているので完成度は低いです。
ただ形になっているだけなので申し訳ないです😫

 


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1.関東大震災からの

 関東大震災の前後、政治が非常に不安定な状態に陥ります。藩閥政治でも、政党政治でも汚職を繰り返す政治の中心人物達。その中でも震災の2年前、政党政治の代表とでも言える ”原敬首相” が東京駅で暗殺されるという大きな事件が起きました。

 

 後の総理候補選びも迷走するような状態で、死者10万人以上の死者、行方不明者を出した ”関東大震災” が発生しました。

 

 この頃、社会格差の急激な拡大により、平等思考の強い ”社会主義的思想” が台頭して来ていました‥‥。

 

 この事を良く思わなかった政府機関(軍など)は、震災の混乱に乗じ、流言を利用し、社会主義者や朝鮮人などを虐殺すると言う様な凄惨な事件も起きてしまいました‥。

 

 この頃から、藩閥政治でも無く、政党政治でも無い。後の太平洋戦争へのレールへと導いて行く事となる新しい勢力 ”” 軍 ”” が力を付けて来るようになりました‥‥。

 

2.4つの恐慌からの

 さて、第一次世界大戦から第二次世界大戦、太平洋戦争までの間に、このとてつもなく凄惨な戦争が始まるきっかけとなった物 ””4つの恐慌”” がとても大きな理由の内の一つになります。

 

 その当たりを少しザックリ解りやすく表現したいと思います。

 

 見た感じだとこんな風にです。

 

4つの恐慌の時系列と内容

  

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 4つの恐慌の関係性

 

第一次世界大戦後、ヨーロッパ諸国の復興に伴い、過剰な生産により製造業の業績が悪化し、業績が悪化した企業に多額の資金を特別に流通させた‥‥
(①戦後恐慌)

 

 

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借金がさらに膨らみ、雪だるま式に膨らんで行った‥

 

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関東大震災発生

 

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震災により経営が悪化する企業が続出した

(②震災恐慌)

復興を優先させるために、多額の震災手形(手形=後でお金を払いますよ!!と約束する紙)を発行した

 

 

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経営改善よりも不良債権問題(銀行が借金を改修出来ない)が増大

銀行の経営状態が悪化

銀行の信用不安が膨らむ‥‥

 

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銀行の経営状態の悪化が国民(預金者)にばれてしまう‥

大臣の失言と重なり(銀行が倒産したと言う間違った情報、実際は倒産していない)

預金者が銀行に押し寄せ預金を引き出すさらなる大騒ぎとなった

(③金融恐慌)

日本の金融史上最大の取り付け騒ぎとなった‥‥

 

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政府が特別な措置(モラトリアル・支払い猶予期間を設け銀行に潤沢に資金を準備した)

を取り、 ””銀行は潰れない”” と言う安心感を国民に与え、この危機を乗り切った

この金融恐慌がきっかけとなり、国民は倒産のリスクが少ない、より力のある

巨大銀行に預金を預ける様になり、益々巨大銀行の力が増大した‥‥

 

戦前の5大銀行

 第一銀行・安田銀行(現みずほ銀行)  住友・三井(三井住友銀行)

三菱銀行(三菱UFJ銀行)

 

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日本の金融恐慌の最中、アメリカの ”バブル崩壊” による 

(④世界恐慌) 

が発生し、世界規模の不況が発生したこの時の各国の対応が、

後の世界大戦の開戦の大きなきっかけとなる事になった

 

3.満州事変からの

 時系列的に言うと日本の金融恐慌の頃。日本の政治の混乱の隙を突いて、日本のある機関がが台頭をする事と成ります。そう。軍部です。

 

 軍部は中国の満州を日本の植民地とすべく、””満州事変”” を起こす事となります。満州事変とは、満州鉄道を爆破した事が満州事変では無く、満州でこの時起こった日本軍による侵攻の総称が ”満州事変” であると言う事を、恥ずかしながら、学び直しをして、理解することが出来ました。鉄道爆破が満州事変だとばかり思ってました。

 

 日本政府は、満州への侵攻を認めませんでしたが、軍部は政府の意思を完全シカト。軍部がコントロール不能となり、軍部の過激思想が暴走を始めました。ただでさえ、不況や、政治不信に嫌気がさしていた国民にも、この過激な思想が受け入れられる事となり、益々軍部は力を付けて、巨大化して行く事となってしまいました‥‥。

 

 この満州事変。数々の影響を作り出す事となります。

 

  • 満州での戦争の軍需により、恐慌からの脱出の足がかりとなった
  • 満州鉄道の、日本軍による、自作自演の鉄道爆破であると言う事が、世界的に大きな批判を買うこととなり、日本は世界的に孤立をする事となった
  • 藩閥、政党政治が終焉し、日本の軍部独裁による政治の開始のきっかけとなった
  • 日中戦争のきっかけとなった
  • マスメディアの報道により戦争熱を日本国民に対して煽り、日本国民も軍事行動に対して支持する姿勢を取った
  • 国際連盟を脱退するきっかけとなった

 

 

 皮肉なもんですよね‥‥。自国が起こした対外戦争のおかげで日本国内の経済が持ち直す‥‥。この資本主義の根本的思想が、今なお続く世界規模での争いや、紛争、戦争の根源なのでは無いかと、思えてなりません。自分ではどうすることも出来ないのですけどね‥‥。

 

 ここまで次の歴史のきっかけを作り出して行く様な大きな影響を作り出した ”満州事変”。この辺りから、日本の中心が急激に変化し、とても大きな被害を出した最悪の戦争へと突き進んで行く事となります。

 

4.軍国主義へ‥‥見たいな感じでは無いでしょうか?。

 国民の後ろ盾も受け、益々巨大な力を付けて行く軍部。軍の意向にそぐわない思想や人物などは、容赦無く ””排除”” と言う手段を取るようになります‥‥。

 

 力による独裁政治の始まりです‥‥。

 

 5・1・5事件2・26事件。時の首相や政治家などが暗殺されるなどのクーデターが横行するようになりました。軍部の意向に同意できない者や、協力的で無い勢力などを、次々に力尽くで支配をし、軍部の政治介入を進めて行く事となりました‥‥。

 

 現在講読中の漫画 ”昭和天皇物語”

 

 

 正にこの時代を生きて来た天皇陛下の物語になります。

 

 現在6巻で足踏み中。満州事変までは話が進んでいません。軍拡に反対していた昭和天皇と、軍のやりとりがどのように進んで行ったのかを少し詳しくも知りたいので、この先の巻が楽しみでもあります。

 

 さて、次のパートは ”第2次世界大戦と太平洋戦争” になります。

 

 このパートでの内容 ””世界恐慌”” が後の第2次世界大戦を起こす大きなきっかけとなって行きます‥‥。

 

 世界恐慌を乗り切るために各国で取られた対応‥‥。その対応の過程で、

 

『 持つ者 』 と 『 持たざる者 』

 

 この2者の大きな対応の格差を作り出すこととなりました‥。持つ者は不況を脱出し、平穏を取り戻す道筋を立てられましたが、持たざる者はと言うと‥‥。

 

 持たざる者はさらに追い込まれることとなり、 『 窮鼠 』 へと変化して行くこととなります。そう、この窮鼠こそが第2次世界大戦と太平洋戦争の主役となる

 

 ドイツ・イタリア・日本

 

 になるのですね‥‥。この時代、右左、中道などと、物言いが中々難しい部分でもありますが、あくまで自分も参考書や教科書を中心に学んでいるので、決して深くは無く、その学びの中での物言いにはなってしまうと思いますが、どの世代に取っても事実を踏まえた上での物言いや、理解をしなければ行けない部分だとも思いますので、胸の痛む時代にはなりますが、自分なりに纏めて見たいと思っています‥‥。

 

 

最後まで読んで頂いた方、感謝します!。ではまたです🖐🖐🖐。