今日は当ブログの本題、作成中の年表地図の24ページ目
”大正デモクラシーと社会運動”
になります。
歴史年表地図もいよいよ次回で5/6に到達する所までになってきましたね。少しずつ一歩ずつゴールは近づいて来ています!
今回も勿論、あくまで歴史初心者的な目線で見ていきますのでご了承ください😅。
内容途中に誤字や間違いなども,きっと見落としや勘違いなどもあるかもしれませんが、あくまで自家用として作成しているので、その辺はご勘弁。
前回のパート W・W・1。
ヨーロッパ中心で起きた戦争は、日本にとってはむしろ、恩恵の方が大きかった戦争だったのかも知れません。
約4年もの間、海外列強からの侵略の心配も無く、鬼の居ぬ間の洗濯を決め込んだ国、後のパートでは大きな戦渦に巻き込まれて行く事となる後の主役。
日本 と アメリカ。
ここでは勿論日本の事中心に触れて行きますが、このWW1中の経済的な恩恵は、莫大的な物となりました。その恩恵は、シャンパンタワーの様に徐々にではありますが、末端の方にもこぼれ落ちて行く事となりました。
大正デモクラシーとは、そもそもDEMOCRACYとは直訳すると ”民主主義” ですが、自分は歴史の初心者で表面的な解釈しか出来ませんが、自分なりに解釈した感じが、大正デモクラシーとは、
富、権利、金、権力の分配。と言う事なのでは無いでしょうか?。
現在、世界規模や、日本国内で起こりつつあるのが、この逆の、 ”集権” って事なのでしょう。何の世界でも門戸を減らし、その減らした先に権力や、金を集中させる。富める者がより富み、貧しい者はより搾取される‥‥。そんな事が今現在進行形で起こっていると思いませんか?。オール電化政策を遂行した国と電気会社の戦略も、個人的にはこのような方法の一環だと思っています。一方的に値上げをされても”買わない”と言う選択肢は取れないですもんね‥。
結果的に大正デモクラシーは志半ばで頓挫してしまいますが、歴史的に見てきて見ても、この権力と金の集中は、必ず良い方向には歴史的に見ても回って行きません。
最近のニュースでも目にした方はいらっしゃるとは思いますが、何処かの芸能事務所でも、一時は飛ぶ鳥を落とすような勢い。
”鹿を馬に変える” までの力を持った者は、暴走を始めるのです。これは、人間の ”さが” の部分なのかも知れません。
秀吉も、清盛も同じ様な人生を送り、最後は根絶やしにされたり、寸前まで追い込まれてしまった‥‥。
最終的に、人間の権力と、カネと、欲は、悲しきかな、必ず暴走を始めるのです‥‥。
丸竹さんの大正時代の纏めになります。大正時代はとても短いですが、明治と昭和に挟まれ、もの凄い勢いで世の中が変化した、 ”激変” の時代とも言えると思います。
この時代のザックリとした流れと、一番の重要な事は何か?
この時代、ザックリな流れで行くと
一番重要な事、流れは、この後の時代へと繋がって行く ” 暴力による弾圧の始まり” では無いでしょうか??。
これは、次の時代への流れに密接に関係しています。権力や、富の分配が始まった事を快く思わない思想が、ねじ曲がった思想の元暴走を始め出します。最初は小さい渦も、結果的には巨大化して行く事となり、これらの事は、次の時代の大きな大戦のきっかけとなって行きます。
さて、こちらが大正デモクラシーと社会運動の標準年表になります ↓
大正時代は全体的な政治の流れを意識すると分かりやすいのかも知れません。
兎に角この大正時代は、2大政党のシーソーゲームを繰り広げて来た時代と言っても過言では無いのかも知れません。
1つ目の政党は、明治初期に倒幕を果たし政治の中心となった、薩長土肥。
藩閥政治になります。天皇に政治を返納した”大政奉還”などとは名ばかりで、天皇を後ろ盾にし、藩閥で政治を独占し、行う政と言えば、最終的には終始、私利私欲を肥やすこと。それに嫌気がさした国民が、民衆の力でその藩閥の輩を政治の表舞台から引きずり降ろしました。
2つ目の政党は国民より選出された政党政治。
ある意味 ”民意” により誕生した政権に今度こそ政治が良くなると期待している国民‥‥。しかしやはりやることは藩閥政治と同じ‥‥。結局蓋を開けて見れば現代の政治と全く同じ。選挙の為の政治と、権力拡大と、私利私欲を肥やすことに全力を尽くして行く様な事ばかり‥‥。
何処か、今の政治とリンクする所が多いと思いませんか?。
結局この政党政治の代表 ”原敬” も暗殺される事となり、最終的に政党政治も空中分解し、結局は元の鞘 ”藩閥政治” へとバトンは戻って行きました。
その後も大正時代の政治運営のバトンは不安定な状態で推移‥‥。
結局は誰がやっても最終的には金儲け‥‥。そんな状態で、大正時代の政治は行われて行きました。
こちらが歴史年表地図になります。
こちらはユーチューブの動画です。
こちらはユーチューブの制作の勉強を兼ねてやっているので完成度は低いです。
ただ形になっているだけなので申し訳ないです😫
1.WW1からの
- WW1がヨーロッパ中心の戦争であった為、ヨーロッパ各国の列強国が、ヨーロッパ中心でのせめぎ合いとなったため、アジア侵攻の気運が激減した。
- 日英同盟を結んでいた日本は、ドイツとは敵対する国となった。(ドイツとオーストリア、イタリア、ハンガリーなどの同盟国、対するはイギリス、フランス、ロシアの連合国との戦争だった)
- 日本はそれを良いことに、ドイツの息の掛かっていた地域、中国の一部や、東南アジアに攻め込み、日本の統治下に納めた。
- ヨーロッパでの物資の不足から来る戦争特需が起こり、産業、(特に重工業、武器の輸出や、造船業)などが巨万の利益を上げることとなる。
- 借金まみれの債務国だった日本が、他国に金を貸すほどの債権国となった。
- 藩閥政治から民本主義への移行思想が強まった。
- 大正デモクラシーと言われる民主主義的な風潮が広がった。
こんな事でもあり、WW1の時に、日本は全体的に景気は良くなり、急激に社会基盤が整い、国民一人一人の意識が向上し、徐々に天狗になって行きます。自分たちはアジアの一等国であると言う意識が国民全体に広がって行ったのでしょう。
2.藩閥政治の没落
藩閥政治の目に余る横暴に、天狗になってきた国民は ”NO” を突き付けました。そして藩閥政治から、国民の意思を継ぐ事となる ”政党政治” が政治の中心となって行きました。しかし、先ほども述べましたが、政党政治も結局は藩閥政治と同じ政治を行い、挙げ句にトップが暗殺されると言う自体が起きてしまい、空中分解する事と成ります。その後も一旦藩閥政治にバトンは渡りはしますが、そのバトンも不安定な状態。
大正時代はそんな ”政治の不安定な時代” でした。
3.社会運動・第2次護憲運動からの
政治の不安定の中、さらに追い打ちを掛けるのが ”関東大震災” でした。混乱の中でのさらなる困難。
国民は国民で、急激な海外からの学問や思想の流入により、知識や意識も向上し益々に政治に異を唱えるような多く出てくる様になりました。女性の権利を主張する者。平等を掲げ政治批判を批判する者。
こんな中で、第2次護憲運動が起き、選挙権は25歳の男子全員に与えられる事となりました。(20才以上の男女全員になるのはもう少し先の話です。)
メデタシメデタシ‥‥。
とは結果的には行きませんでした‥‥。
4.次の時代へのトリガー、暴力による弾圧の始まり見たいな感じでは無いでしょうか?。
25歳男子全員の選挙権の付与と時を同じくして出来た法律、 ”治安維持法” が次の時代への転換と言える様な、1つの時代の転換点となるような法律だったのでは無いでしょうか?。
最近では ”共謀罪” と言う法律が制定される時に一悶着あったので、記憶にある方もいらっしゃると思いますが、この ”共謀罪” は、 ある法律と、とても似ている法案だと言われ制定当時、批判を受けていました。その ”似ている” と言われていた法律が、この ”治安維持法” になるのですね。
どのような法律かをザックリに言いますと、
『 国家や政治の事を悪く言う奴や、批判をする奴、方針に従えない奴は、国がぶっ飛ばしてもOK!‥‥。 』
本当にザックリですがこんな法律になります。この法律により、思想を制限し、異を唱え、政治批判をする者を一切許さない。公認の上そんな人たちを暴力で弾圧すると言う様な独裁政治が始まる事を意味するような法律がここに施行される事となります。
共謀罪も、国家が一方的に ”曖昧な基準が確立されてない線引き” で敵と見なせば嫌が応無く罰することが出来る法律。その ”敵” と言う概念 が確立した者では無く、国が一方的に決める事なので、その概念の拡大によっては、この時代の治安維持法と同じではないか?と言う様な理由で、法案可決の際には大もめしたのをつい最近の事なので覚えている方も多いと思います。
この暴力と、権力による公認弾圧と言う思想の容認は、後の日本の独裁的な軍国主義の基盤となり、大きな不幸へ向かって歩き始めた第一歩となった場所なのかも知れません‥‥。
権力者の嫌う者‥‥。
自らの信念を持ち、損得で動かず、権力や金に屈しない人々‥‥。
そんな人達を、次々に ”暴力” で黙らせて行く事となります‥‥。
最近1冊の漫画を読み始めました。
「 昭和天皇物語 」
激動の時代 ”昭和” を生きた自分にも馴染みのある天皇の漫画になります。明治の終わり、丁度この時代から物語が始まる感じになります。まだ読み始めて間もないので序盤の方ですが、歴史を浅くでも学ぶ前なら、恐らくつまらなく感じたろうし、読む気にもならなかったと思います。おかげさまで、少しでも基礎知識が出来た事により、時代背景や登場人物など、全体の流れが理解できている事もあり、非常に面白く読ませてもらっています。結構面白いと思いますので、活字が苦手な方にはお勧めします!。
さて、次のパートは ”世界恐慌と日本の中国侵略” になります。
日本の政治基盤はこの時代に少し固まりつつありました。治安維持法を後ろ盾に、次々に批判者や、反対的な意見をつぶして行きいよいよ ””日本” と言う国が暴走を始めて行くパートになります‥‥。
こうして簡単にですが歴史を学んでみると、後からだと ””どうしてそんな簡単な事が回避できなかったの??。”” 的な事が随所にみられるのですが、それが変わらない、変えられない所が ”歴史の流れ” と言う事なのでしょうね‥‥。自分の人生も一緒か(笑)。
日本はドンドンとこのあと近代で最も悲惨な戦争へと突き進むこととなります。でもこれら発端の小さな渦は、 ”世の中の不景気” と言う資本主義的思考が作り出した、いわば
”” カネ ”” の問題によるものがほとんどです‥‥。そう、カネと言う魔物が、次々にこの後の戦争を作り上げて行く事となります。
独裁色を強め、不況に立ち向かうべく日本の出した答えは ”侵攻” と言う選択肢。時を同じくしてヨーロッパでもファシズムや、ナチズムと言った独裁的な思想が台頭、リンクし、時代は近代でも最大級の戦争へと歩みを寄せて行くことになります。
人間は何度でも過ちを繰り返して行くのですね‥‥。
最後まで読んで頂いた方、感謝します!。ではまたです🖐🖐🖐。