okite910nete1820’s blog

歴史が嫌いだった自分が学び直して、簡単な歴史の地図を作ってみます。

本土最南端の県にある、一生の内一度は訪れてほしい場所‥。

お題「九州を旅するならどこがおすすめですか。」

 今回はこれから大型連休を迎えるに当たり、お題に挑戦。

 太平洋戦争末期、米軍の沖縄上陸~日本唯一の地上戦。通称アイスバーグ作戦。作戦が始まったのが1945年3月下旬から6月頃終戦の少し前まで‥。丁度今頃の季節。その頃南西諸島沖で起きた世界初ともいえる日本軍の蛮行。その行為の為に命を落とした者の思いを現世に噤む施設。以前投稿した記事のリライト記事になります。

 

何時もとは違った真面目な語り口で。別人の書いたブログの様な、少し違和感が有るかも知れません‥。

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 歴史の学び直しをし、幾つもの戦争と言う物に対しても学び直しをして来た。

 

 文頭に断っておくが、自分は決して戦争の悲惨さや命の重みに優劣を付ける気は毛頭無いと言う事は先に述べておく。

 

 そしてここから先の思いは、全て私感であると言う事。思いを強要する気も無いし、させるつもりも毛頭無い。

 

 ただこの場所が、自分の人生の中でとてつもなく大きな存在となっていると言う事を今回は純粋に伝えたい。そして九州を訪れる機会があったのなら、是非とも人生の内一度でも良いので、足を伸ばして訪問して欲しい場所でもある‥。

 

 時は太平洋戦争末期。長崎と広島に原子爆弾が落とされる少し前。

 

 太平洋戦争終戦間際。アメリカ軍が沖縄に上陸した頃の話になる。

 

 

 知覧特攻平和会館

 

 名前は聞いた事あるだろうか? 映画や小説の ””永遠の0”” のモデルともなった特攻の最前線基地で、現在は戦争の悲惨さを後世に残す為の施設でもある。


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挿入歌 サザンオールスターズ 蛍

 

 自分は長崎の原爆資料館広島原爆資料館、沖縄のひめゆりの塔。それらの施設を来訪した事がある。

 

 ここ知覧の特攻平和会館も3つの施設同様に戦争の悲惨さを後世に伝えるための施設。ただこの施設は広島・長崎・沖縄の施設とは少し異質な施設だと自分は感じた。

 

 太平洋戦争末期の日本。あの大国アメリカに勝てるはずも無く、物資すらまともに供給出来無い情勢の中で、その劣勢のしわ寄せは必然的と言えるべく、末端の者達の所へとやって来た‥。どの時代、何処の国、そして何処のコミュニティでもそれは ”不変” と言えるのかも知れない‥‥。

 

 この頃、窮地に立たされた日本軍は、非人道的な作戦を遂行させる事と成る。

飛行機に積める限りの爆弾を積み、目的(自爆攻撃)を成し遂げる事だけを目的に前線に赴かせ、飛行機諸共敵の空母に体当たりをすると言う”特攻行為”を命じたのだ。

 

 世に言う 

 

 ”神風特攻隊”

 

(同じ様な時期に、同じ様な事を潜水艇で行った ”回天” と言う名の人間魚雷も存在した。)

 


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 知覧特攻平和会館はその特攻により戦死した兵士達の思いが、魂が今も眠る場所になる。

 

 犠牲になった1036人の前途ある若き兵士達。南にそびえ立つ開聞岳を目指し戦地に飛び立ち、決して戻ることは無かった‥‥。

 

 大切な家族がいる、大切な妻がいる、大切な乳飲み子がいる、大切な恋人がいる。皆平等に大切な何かがあったに違いない。そんな決して自らが ”死” などを求めていなかった未来ある若者達に、時の日本軍は ”死” を命じた‥‥‥。

 

 柔らかなソファーに座り、決して前線になど赴きもせず成果と言う数字しか見ないであろう発令をする側の上層部の人間‥。例え隊員が無念の死を遂げたとしても、その上層の人たちの記憶に残る事など、微塵も無かったのであろう。彼らにとって、末端の命の事など数字そのものでしか無かったのだから‥。

 

 突然に命を奪われるとい言う事とは違い、

 

 「お前は来月に御国の為に死んでくれ‥‥」

 

 と言われる事が、どれだけの重さのある事なのかを、本当に色々な事を考えさせられる施設だと、自分は思う。

 

知覧特攻平和会館とは‥‥

 この知覧特攻平和会館は、第二次世界大戦末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示している。

 私たちは、特攻隊員や各地の戦場で戦死された多くの特攻隊員の遺徳を静かに回顧しながら、再び戦闘機に爆弾を装着し敵の艦船に体当たりをするという命の尊さ・尊厳を無視した戦法は絶対とってはならない、また、このような悲劇を生み出す戦争も起こしてはならないという情念で、貴重な遺品や資料をご遺族の方々の理解、協力と、関係者の方々のご尽力によって展示している。

 特攻隊員達が二度と帰ることのない「必死」の出撃に臨んで念じたことは、再びこの国に平和と繁栄が甦ることであったろうと思う。

 この地が出撃基地であったことから、特攻戦死された隊員の当時の真の姿、遺品、記録を後世に残し、恒久の平和を祈念することが基地住民の責務であろうと信じ、ここに知覧特攻平和会館を建設した次第である。

 

 

 

www.chiran-tokkou.jp

知覧特攻平和会館 | TOPページ (chiran-tokkou.jp)

引用:知覧特攻平和会館公式HP

 

知覧特攻平和会館 - Wikipedia

 

 

 縁あってこの施設を訪れたのは20代の独身の頃。どんな施設か深くは知らずに知人に連れられ訪問した。

 

 若い頃から色々な事を考え、感情移入が少し強い自分に取っては、本当に衝撃的な施設だった事だけは鮮明に覚えている。

 

 正直、最後まできちんとは見られ無かった‥‥‥。

 

 中に入ると戦死者達の遺影が飾られている。自分と少しも変わらないような年代の戦死者達の遺影。同じくらいの歳の若者と比べても、一回りも二回りも人生を重ねてきた様な精悍で凛々しい顔つきをしている様に自分には映る。きっとそれまでの人生自体が、その精悍で凛々しい顔つきを作り出す源になった、全てを制限されて来たであろう”戦時”という壮絶な人生だったからかも知れない‥‥‥。

 

 展示されている遺品の数々。愛する家族に、妻に、恋人に、今から死に行く事への思いを切々に手紙に綴り、そして別れを告げ大空に飛び立って行く‥‥‥決して後ろ向きな言葉では無く‥‥。はては検閲のせいで、そう書かざる負えなかったのか‥‥。

でも、きっと ”思い” と言う部分は不変だったと思う。

 

                                                                                   

二人で力を合わせて努めて来たが,終(つい)に実を結ばずに終った。 希望を持ち乍(なが)らも,心の一隅(ひとすみ)であんなにも恐れていた“時期を失する”と言ふ(う)ことが実現して了(しま)ったのである。

去月(きょげつ)十日(とおか),楽しみの日を胸に描き乍(なが)ら,池袋の駅で別れてあったのだが,帰隊直後,我が隊を直接取り巻く状況は急転した。発信は当分禁止された。(勿論(もちろん)今は解除) 転々(てんてん)と処(ところ)を変へ(え)つつ多忙の毎日を送った。そして今,晴れの出撃の日を迎へ(え)たのである。便りを書き度(た)い。書くことはうんとある。

然(しか)しそのどれもが今までのあなたの厚情(こうじょう)にお礼を言ふ(う)言葉以外の何物でもないことを知る。あなたの御両親様,兄様,姉様,妹様,弟様,みんないい人でした。至らぬ自分にかけて下さった御親切,全く月並(つきなみ)のお礼の言葉では済みきれぬけれど「ありがたふ御座いました(ありがとうございました)」と,最後の純一(じゅんいつ)なる心底(しんそこ)から言って置きます。

今は徒(いたずら)に過去に於(お)ける長い交際のあとをたどり度(た)くない。問題は今後にあるのだから。常に正しい判断をあなたの頭脳は与へ(え)て進ませて呉(く)れることと信ずる。然(しか)し,それとは別個に婚約をしてあった男性として,散って行く男子として,女性であるあなたに少し言って征(ゆ)き度(た)い。

「あなたの幸せを希ふ(ねがう)以外に何物もない」

「徒(いたずら)に過去の小義(しょうぎ)に拘(こだわ)る勿(なか)れ。あなたは過去に生きるのではない

「勇気を持って,過去を忘れ,将来に新活面(しんかつめん)を見出すこと」

「あなたは,今後の一時(いっとき)一時(いっとき)の現実の中に生きるのだ。穴澤は現実の世界には,もう存在しない」

極(きわ)めて抽象的(ちゅうしょうてき)に流れたかもしれぬが,将来生起(せいき)する具体的な場面々々(ばめんばめん)に

活(い)かして呉(く)れる様(よう),自分勝手な,一方的な言葉ではない積(つも)りである。

純客観的(じゅんきゃっかんてき)な立場に立って言ふ(う)のである。当地(とうち)は既(すで)に桜も散り果てた。

大好きな嫩葉(わかば)の候(こう)が此処(ここ)へは直(じき)きに訪れることだらふ(う)。

今更何を言ふ(う)か,と自分でも考へ(え)るが,ちょっぴり慾(よく)を言って見たい。

引用:知覧特攻平和会館公式HP

資料名:遺書・手紙類 (恋人へ)

穴澤 利夫(あなざわ としお) 大尉

 

こんな手紙や資料が幾つも展示してある‥‥。

 

ある有名なYouTuberがある動画でこう言っていた。

 

 「自分は無能な政治家の為に命を落とす気は毛頭無い。日本が戦争になった時は真っ先に日本を捨てて国外に逃げ出す」と‥‥。

 

 決して彼の事は批難でき無い。むしろ正直自分もこちら側の意見の人間だと思う。本当に否定する事が出来ない、する場所が無い位に完璧な正論だと自分は思う。

 

 ただ、この人達もきっと思ったに違いない。

 

 逃げ出したい‥‥死にたく無い‥‥と‥

 

 でもそれが出来なかった‥‥。そんな事がとうてい許されるはずも無い時代だったろうに。

 歪んだ教育と思想、法律、軍国主義のプロパガンダを植え付けられ、それにより作り上げられた偏った世の中全体の空気が、そういう狂った事が必然の事のように思う様に操られていたのかも知れない。 

 しかし、その大和魂なる、愛国心歪んだ教育思想それから生まれる ”狂気” とも言う物で、これまでの度重なる列強国からの侵略による支配から、日本を守って来たのかも知れない‥‥。自らが国を守ると言う観点からは間違って無いのかもしれない‥。正直分らない‥。

 

 御国の為、逃げだせば家族諸共非国民扱いされる

と言う様な逃げる事の出来ない同調圧力で思考を停止させ、御国の為に死ぬことが誉だと洗脳する‥‥。逆らえば自分に、いや、家族全員の未来が無い‥‥‥。

 

 上官より命令が下された時の思いとはどんな物だったのだろう?。どのような気持ちで日々を過ごしたのだろう?。怖くなかったのだろうか?。やるせなかったのでは無いか?。無念では無かったのだろうか?。

                                                                                 

本当にいたたまれなかった。

 

 正直、残された遺品や、手紙の数々。当時自分は涙を堪える事が出来ず、まともにそれらの手紙や残された思いを全部は直視する事が出来なかった‥‥。

 

 そして自分は、未熟な若者なりに、本当に色々な物に対しての ”疑問” を持つ様になった。

 

 人生って何だろう?自由って何だろう?幸せって何だろう?死とは何だろう?生きるって何だろう?戦争って何だろう?不幸ってなんだろう?国って何だろう?政治って何だろう?権力って何だろう?富とは何だろう?‥‥‥‥‥‥。

 

 広島、長崎、沖縄の施設を訪れた時よりも、自らが、色んな物に対して向き合い考える、と言う事は、この知覧特攻平和会館の方が自分は遥かに強く感じたかも知れない‥‥。

 

 数字の上では他の戦地と比べれば ”犠牲者の数” と言う観点から言えば、きっと大きくないのかもしれない。でもこれは数字では決してない。比較する部分でも無い‥。一人一人の命、一つ一つの思いがそこには存在しているという事を忘れてはいけないと思う。

 

 兵器という物に一瞬の内に命を奪われてしまう悲惨さでは無く、同じ人間が、 ”死” を命ずる‥‥。命ぜられた人間は束の間の日常の上で、自ら ”死” へと向かわなくてはならない‥‥。

 

(実際想像しろと言っても無理な話なのかも知れない‥‥。)

 

 

 もっともっと数え切れない位の ”疑問” を持ち、ひたすらに考え、そして未熟な若者なりの自らが答えを少し出せた様な気がした。

 

 今でも自分はこの施設に再来したいと思っている。

 

 子を持ち、親となり、置かれている立場も変わり、歳を取り涙腺が更に弱くなった今では尚の事直視出来ないかも知れない‥‥。

自分も訪問したいと言う思いも強いが、子供達に見せたいと言う思いの方が強いと言った方が良いかもしれない。

 

 自分もそうだが、生まれた瞬間から溢れる物に囲まれ、当前のように昨日と同じ明日が来ると思う様な恒久的な平和の中で何不自由無く育ち、人に対する感謝の気持ちや思いやりの気持ち、我慢をする事さえも失われ始めて来ている、平和に ”ボケ” て全てが ”当たり前” と思って過ごしている今を生きる多くの人達。そして当然我が子も‥。

 

 でもそれは当たり前では無いと言う事を少し考えて見て貰いたい。

 

 何かが起きれば一瞬でそんな日常など、跡形も無く消滅してしまう。

 

 この施設を訪れ、もし自分が近い未来に死を宣言されたら?平和だった日常が一瞬で奪われたら?。当たり前の様に来る明日が突然来なくなったら‥‥。当時の彼らの身になり、立場になり考えて見て貰いたい。

 

 感じ方は人それぞれ。何も感じ無い人も、自分以上に感銘する人、不快な気持ちにしかならない人も当然いるだろう。それはそれで否定はしない。尊重はする。

 

ただ、この場所は少しでも自分の何かに向き合い、 

 

「考える」

 

 と言う事を、自分の生き方や人生や、自由や幸せや、色々な物を、根底から考えさせてくれる場所だと自分は思っている。子供達にも 『考えられる人間』 に自分はなって貰いたい。

 

心で感じて、そして自分で考えて欲しい

 

 生きていればそれぞれの立場で、それぞれの暮らしで、それぞれの場所の中で、突き当たる壁がきっと有ると思う。現に自分も沢山の壁に絶望した事も数えきれない‥。漠然とした物に対する、漠然とした疑問が沸き起こる中で、この場所は自分と向き合い、自分で考え、そしてその先の人生や、どのように生きるべきか、幸せの意味や、自由の意味や、命の意味、そんな漠然とした己の中にある疑問の答えを、導き出す為の道しるべになってくれる、そんな場所だと自分は思っている‥‥。

 

命の選択が出来る場所であると‥‥。

 

 どんな所でも、どんな劣悪な環境の職場でも「翌月に死を命ぜられる」所はそう無いだろう。

 

 日々どれだけの自由に囲まれ、いかにどれだけの小さな幸せが沢山散らばっているかに自分は気付けた‥。そしてこれまで前向きに生きてこれたと思ってるし、これからもそうしたいと思っている。自分自身、こういう部分に真摯に向き合い、論ずる事ができるというある意味恵まれた環境に居るのかもしれない‥‥。

 

 日本本土最南端の県、鹿児島県。深蒸し茶や武家屋敷で有名な知覧と言う少し中心地と離れたひっそりとした場所にある。正直、立地と言う面では恵まれた場所にある施設とは言えないだろう‥。

 

 ただ、人生や幸せ平和の真の意味を考えたいと思ったり、何かに躓き少し立ち止まってしまった時に、是非訪問を勧めたい施設になる。それくらい多くの事を考えさせられ、語りかけてくれる場所だと心より思っている。

 

知覧特攻平和会館

 

自分は

 

「どう生きれば良いか?先の人生をどのように過ごせば良いか?」

 

その答えの1つを示してくれた場所になった事は間違い無かった‥‥。

 

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 大型連休を迎え、気候も良くなり出かける機会が増えて来るこの季節。九州を旅する際は是非、いえ、この場所を訪問するために、是非とも九州に旅してほしい位に、自分が勧めたい場所のお話でした。