okite910nete1820’s blog

歴史が嫌いだった自分が学び直して、簡単な歴史の地図を作ってみます。

毎年恒例の冬の北上ツアー。(年甲斐も無く今回は少し詰め込み過ぎて弾丸気味に‥‥NO.3/NO.4)

 鶴ヶ城を後に次なる会津の鉄板観光名所に向かいます。こちらは歴史の学び直しを始めた頃に、野口英世記念館と合わせて子供たちと訪問したので、2年ぶり位の訪問になるかな?。

 

 鶴ヶ城からは車で10分ほど。目的地に到着しました!!。

 

 (場所のネタバレ含みます)

 鶴ヶ城の次に訪れた場所は ””飯盛山”” になります。

 

 

飯盛山 (福島県) - Wikipedia

ja.wikipedia.org



 白虎隊と言われる若い会津藩士達が、山の頂から望む鶴ヶ城方面の大火災で鶴ヶ城の落城を嘆き(実際には落城してはいなかった)、その場で自刃したと言う様な逸話で有名な場所だと思います。

 

 この場所には少し忘れられないエピソードが‥‥。

 

 前回訪問した際、白虎隊記念館内での出来事になります。当時は歴史のの字も無かった状態の自分。

 

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 館内で年配の白髪のおじさんが、物凄く熱く新選組について語っていました。大きな声で話していたので、内容はこちらまで筒抜けです。その熱量は半端無かったです。

 

 そしてそのおじさん土方歳三が最後北海道の五稜郭まで北上し、そこで最後を迎えた事を、物凄く熱く、静かな館内に響き渡る大声で、熱弁していました。         

 でもそこには少し歴史の素人ながらに、大きな違和感が‥‥‥。

 

 そのおじさん、館内に響き渡る大声で

 

 『 ヒジカタサイゾウがホニャララ!!!  

                    ヒジカタサイゾウがホニャララ! 』

 

 と同行していた仲間のおじちゃんにどや顔で解説していました‥‥。

 

 え゛???  ( ゚Д゚) 

 

 サイゾウ ( ゚Д゚)!??

 

 ヒジカタ トシゾウ なのでは無いのかな??。と心の中で突っ込み、もうそれが気になって気になって‥‥‥、展示物を見ても知識がゼロ状態、何が何だか分からないので、興味津々にそのおじさんの解説を最後まで盗み聞きしていました‥‥。

 

 何時まで言い続けるのかな??とも思ってましたが、結局、最後の最後まで変化を遂げる事無く ””ヒジカタ サイゾウ”” でした‥‥。結局自分も ””サイゾウ”” だけが頭に残り、内容は全く理解できてませんでしたね‥‥。

 

 隣で大きな相槌を打っていたおじさんも、最後まで一度も突っ込む事無く、サイゾウおじさんの解説を食い入るように聞いていたのが非常に印象的でした‥‥。

 

 そんな以前訪れた際に、前置きにしてはちと長いエピソードがこの場所にはありました。

 

 そして今回。この記事を書くに当たり、少しモヤモヤしていたのでその真相を少し調べて見る事に‥‥。

 

 何と、30年以上前は ””サイゾウ”” と言う名前が一般的だったと言う様な情報が実際にあるではないですか‥‥。 ””トシゾウ”” と言う風に確定されたのは、その後の時代みたいですね‥‥。

 

 また、公家や朝廷などの前で使用する名前、正式な名称は音読み‥‥。の様な決まりもあるみたいですよね‥。詳しくは知りませんが。

 

 つまりはあのおじさん間違って無かったって事なんですね‥‥。

 

 鎌倉幕府の成立を ””イイクニ””1192年 と習った我々世代。

 

 現代は ”イイハコ””1185年 に変化した様な物なのでしょうね‥‥。史実は変化するいい加減な物なんですよね。だからと言って現代に変化がある物でも無いのですけどね‥。

 

 過去の違和感が払拭し、ここにも大きな 『 ナルホド 』 が存在していました。

 

 

 

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少し寂し気な感じもしますが、坂と階段を上って行きます
まぁ基本的に賑やかな場所ではないのでね‥

 

 

手塚治虫さんもこの地を訪れ、大きく感銘したみたいです‥

 

 

 さて、坂を上り白虎隊自刃の場所に向かいます。動く歩道もあるのですが、勿論自力で階段を登ります!!。

 

もう少しで頂上に到着、既に息はハァハァです‥‥💦

 

階段を登り切ると開けた場所があります

 

 自刃をした白虎隊の十九士のお墓や記念碑、慰霊碑などの多くがあります。もう少し先に白虎隊が自刃をした場所があります。そちらに向かいます。

 

この先に鶴ヶ城を見下ろせる開けた場所に出ます
前方に見える二人。このあと白虎隊記念館で行き会い少しエピソードが‥

 

この場所から白虎隊も炎に包まれる会津の街を見下ろしたのでしょうね‥‥

 

 この場所から白虎隊の藩士は鶴ヶ城方面を望み、燃えさかる城下町の炎を、鶴ヶ城が落城したと思い込み、敗戦を悟り、自ら命を絶った場所になります。

 お家に帰って来てから復習をしたのですが、この白虎隊はとても優秀な若者達だったよう‥‥。歴史の学び直しで大分お世話になっている ””丸竹夷”” さん。彼の旅YouTubeで学び直しました。

 

 


www.youtube.com

 

 

 自刃をした藩士の年齢15才~17才。自分たちの子供の様な幼い命が、上層の権力闘争の末の犠牲に成るような事が平然と起きてきた時代‥‥。本当に色々な思いが込み上げて来ました。

 

白虎隊が自刃した場所‥‥鶴ヶ城を望む藩士の石像も建っていました‥

鶴ヶ城を望む白虎隊士の石像



 

 自刃した際の亡骸も賊軍と成った会津藩は西軍より詳しくは書きませんが酷い扱いをされた見たいでした‥‥。つい最近まで、薩摩・長州との軋轢は残っていたとも聞いた事もありました。

 

 蛤御門の変より始まった薩摩・長州藩と会津藩の軋轢。尊王攘夷派と公武合体の対立。その流れ。そして戊辰戦争‥‥東北戦争‥そして五稜郭‥‥。

 

 丸竹夷 YouTube高校/日本史

 

 禁門の変(蛤御門の変)

 

 会津の悲劇

 

 

 


www.youtube.com

 

 


www.youtube.com

 

 何度も訪れて来た場所が、これほどにまで違った景色に見えるとは正直驚きましたが、本当に表面的にでも歴史を学び直して見て良かったなぁ。と改まり思えました。

 

 さぁ山を下りて次なる場所に向かいます。

 

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さざえ堂

 

見ているだけで気分が悪くなりそうな建物ですね‥‥

 

 

 何処と無く ””ビックリハウス”” 見たいな感じに見えるこのお堂。自分三半規管が激弱なので、中に入るのが少し心配です‥‥。

 

 この建物、世界的に見ても大変珍しく、恐らく世界唯一の建築物と言っても良いくらいの建築物みたいです。

 グルグル回る螺旋階段が中にあり、しかも、一方通行で頂上に辿り着きそのまま昇りの人と下りの人が行き違いをせずに元の場所に戻って来ることが出来るという有る意味本当にビックリお堂になります。

 

 何故この様なお堂を作ったのかと言うと、坂の途中に33ヵ所の窪みが有り、そこに仏像が置かれ、お堂を一周しただけで、33ヵ所の有り難い仏像にお参りする事が出来る様にと、パフォーマンスを重視して建てられたお堂みたいです。

 

 入場料大人400円。入らないと言う選択肢は‥‥勿論有りません!!。

 

 

入り口から登って行きます!!

 

 

 

こんな風に木造のスロープ構造になっています

 

 

建物の中心側に窪みが有り、当時はここに仏像が入っていたみたいです

 

 

建物の頂上に到着、恐らく柱が真っ直ぐなので、三半規管は無事みたいでした
良かったデスよ。ハリポタ乗った後みたいにならないで‥‥

 

 やはり一方通行なので、人に追い抜かれる事は有りましたが、すれ違う事は有りませんでした。

 

 

 さざえ堂の近くにも白虎隊を祀る神社などもあります。

 

宇賀神社

 

 

 ここから少し坂を下ります。その先に白虎隊が西軍の攻撃を避ける為に、猪苗代方面より隧道を抜けて飯盛山に来たと言う場所があるのですが、そちらに行って見る事に‥‥。

 

戸の口堰洞穴 とのぐちせきどうけつ

 

 長さ250m弱の隧道が猪苗代湖方面より続いていて、この穴を通って、西軍の監視を潜り抜け、白虎隊は会津に戻って来た見たいです。

 LEDライトなど勿論無い時代に、真っ暗な隧道の中を、どんな気持ちで進んで来たのでしょうね?。閉所恐怖症、水恐怖症の自分にはとても出来る気がしないです‥‥。

 

 

この狭い暗い穴の中を、半身水に浸かりながら進んだんでしょうね‥

 

 

 さて、次は飯盛山最後の目的地に向かいます。 最後の目的地は冒頭で出て来たこの場所です。

 

白虎隊記念館・史料館

 

 

入場券を購入、大人400円

 

 前回とは違い、展示されている資料や時代背景、色々な物が理解出来ました。展示物を見ていると後から白髪頭のおじちゃんが、大きな声でアームストロング砲がどうだとかこうだとか、もう一人の男性と話しながら史料館に入って来ました。(自刃の場所で見た二人の人影の方たちです。)

 何をしでかすかと思えばそのオジサン。写真撮影禁止の館内で、バシバシ写真を撮り始めたではないですか‥‥😲

 

 まぁ世の中色んな人がいますねぇ‥‥‥‥。

 

 施設の人に怒られないのかと思いましたが、結構大丈夫なんですね‥‥。

 

 こちらも前回来た時とは違い、多くの場所での『なるほど!』、『フーン』や『 ヘェ~ 』 が、沢山有りました!。

 

 今度は奥さんや子供達も連れて来てあげたいです。

 

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 以前は 『 若いのに可哀そうだね~ 』

 

 位にしか思わなかった場所も、学び直しをし、事の成り行きを良く理解したり、歳を取ったり、同じくらいの年齢の子を持ったり、状況が変化したことも伴い、違う角度から物事が見え、違う視点での思いや考えも沢山出来ました。

 

 『 歴史とは何か?? 』

 

 年表の纏めが終わったらこの事に付いての気持ちの纏めを書こうと思うのですが、歴史とは、全てのぜい肉を切り取り、要約し尽くし、一言で言うならば、

 

『 政治の、カネの、時の権力者達の、私利私欲の、損得の、人間の汚い欲の部分のぶつかり合い‥。 』

 

 それだけでしかない。(あくまで個人の意見です)その中で犠牲になるのは必ずや立場の弱い人たち‥‥。

 

 太平洋戦争での特攻攻撃や、白虎隊だって同じような物でしょう‥‥。

 

 ジャーナリストの櫻井よしこ氏が、

 

  『 若者に問う! 君は国の為に死ねるか!? 』

 

 と言う様な発言をし、炎上したのも最近の事‥‥。『 全く上から一方通行の言い方極まりない 』 と、個人的には感じてしまいました‥‥。

 

 知覧特攻基地で感じた『 安全地帯から物を言う 』と言う事の違和感‥‥。

 

okite910nete1820.hatenablog.com

 

 本当に自らが国を思う気持ちが有り、

 

 百歩譲りそれを若者に問うと言うのならば、

 

 『 若者よ、まず私が身を挺し、敵を玉砕してくる姿を見せましょう。そうしたら、君達は私の後に続いてくれますか?? 』

 

 では無いのかと白虎隊や特攻隊の不憫な死とリンクし、ふと、この発言を思い返してしまいました‥‥。

 

 どこぞの国の支配者は、戦争に行かせる人間を作るために、女性に子供をもっと沢山生めと促している‥‥。彼は地獄に落ちた位では到底罪など償えないでしょうね‥‥。

 

 凡民に想像もつかないような ””権力”” や ””利権”” ”は、凡民には想像もできないような人格を作り出してしまうのですね‥‥。

 

 時代の節目、列強国から ””日本”” と言う国を守るためには必要な改革であったのかもしれない江戸末期から明治初期にかけての大きな内乱‥‥。

 

 一方で、こんなにも幼い命を死に追いやった時の権力者や、教育や、洗脳や、時代や、時の大人達の存在‥。本当に色々な物を考えさせられました。何が正解かは導き出せませんが‥‥。

 

 本当に色んな学びがあった飯盛山でした‥‥。来れて良かったです。

 

 最後まで読んで頂いた方、感謝します!。ではまたです🖐🖐🖐。