okite910nete1820’s blog

歴史が嫌いだった自分が学び直して、簡単な歴史の地図を作ってみます。

 日本の終戦【27/30】

今日は当ブログの本題、作成中の年表地図の27ページ目

 

”日本の終戦

 

になります。

歴史年表地図もいよいよ5/6を通過しました!。残りは3単元となりましたかなりゴールの面影が大きくなりつつあります!あと3つです!!。

 

 今回も勿論、あくまで歴史初心者的な目線で見ていきますのでご了承ください😅。

内容途中に誤字や間違いなども,きっと見落としや勘違いなどもあるかもしれませんが、あくまで自家用として作成しているので、その辺はご勘弁。

 前回のパートでは、 ”第二次世界大戦と太平洋戦争” でしたが、その二つの戦争が、いよいよ終結する事となります。

 

 ”太平洋戦争の終結” と言われ、真っ先に思い浮かぶことは何でしょう?。この時代は、言わば日本の黒歴史。数々のアジア近隣諸外国へして来た蛮行。現在の外交までをも尾を引くような目を覆いたくなるような仕打ちを行って来た時代でもあります。

 

 教科書などでは深い部分までは踏み込んでは無いでしょうが、日本国は自国民に対しても、諸外国の人たちに対しても相当な事をして来たと思います。政治とは何なのか?。国家とは何なのか?。秩序とは何なのか?。正義とは何なのか?。

 

 そんな様々な疑問も、それらの事を色々な角度で踏まえた上で、自分なりの解釈や物差しで、物事を捉えて行く事が大切なのでは無いかな?とも思っています。

 

 これからの時代に生かして行く為にも、目を覆いたくなるような ””過去の現実”” とも向き合い、学び、それを踏まえた上での物言いが大切なのでは無いのかな?と、個人的には思っています。自分も完璧な知識があるわけではありませんけどね‥。

 

 自分が小学生の頃、良く祖母より、戦時中の体験談を聞かされていました。

 

 幸い栃木県は宇都宮に大きな航空基地はあったものの、大部分が田舎の為、大きな空襲は免れたみたいでした。また、都会からも近かったし、食料も比較的採れたので、疎開者が結構多かった見たいです。

 

 多くの話は時間の経過と共に忘れてしまいましたが、中でも印象に残っているのが、

女子の生徒が竹の棒を斜に切った武器(竹槍)に扮した物を持ち、大空めがけ大きなかけ声で

『 鬼畜米英 ・ 鬼畜米英 』 と言いながら竹槍で敵兵を突く練習をさせられたり、軍需需要の鉄などの金属の不足から、一般家庭から ”鍋” や ”釜” などの金属製の物を提供させられた話など‥‥。

 

 他の話も良くお風呂に一緒に入った時などに話してくれました。

 

 『  勝てるはず無いですよね‥‥‥‥‥。  』

 

 そもそもが開戦前より、力の差が歴然としていたこの太平洋戦争。多くの物資を輸入に依存すると言う、”資源の無い国” と言う事も致命的な敗因の一つだったでしょう。徐々に戦況と国民に対する戦果の報告が大きく乖離し始めます。どうやらこの ”政府” と言う物は、国民に都合が悪い事には一切触れず、嘘を発信し ”嘘を突き通す” と言う様な事は、太古の昔から現在に至るまでも、全く変わっては無いようです。恐らくこれは、国が変わっても、人種が変わっても、そう大差は無い様な事なのでしょう‥‥。

 

 中田あっ君のYouTube大学最終回。初めて動画を見たときには、断片的にしか理解出来ませんでしたが、全体的な歴史の流れを掴むことにより、最終的には『もう少し踏み込んだ所まで知りたいなぁ』と言う位に理解が進む事となったのは正にあっ君のおかげだと思っています。癖が強い人なので万民受けはしないでしょうけどね。

 


www.youtube.com

 

 この時代のザックリとした流れと、一番の重要な事は何か?

 

 この時代、ザックリな流れで行くと

 1番重要な流れは、 ””ポツダム宣言の受諾”” では無いでしょうか?。日本はこのポツダム宣言を受けるタイミングも大きく関係し、大きな悲劇を生み出し、さらにポツダム宣言後の世界の分裂 ””冷戦”” を作って行く事になりました。

 

 歴史に ””もし”” と言う言葉は存在しないみたいです。

 

 でももし、このポツダム宣言をもう少し早いタイミングで受諾していたら‥‥‥?。もし違う選択肢を日本が選んでいたら、もう少し早い段階で違う道筋が見えていたのでは無いだろうか‥‥‥?。

 

 この様な歴史の分岐点と言う物がこの時代数多く存在していたことを学ばされました。まぁその選択をしていた所で時代が好転したという保証は何処にも無く、さらなる悲劇を生んだような歴史にだってなった可能性はあるのですからね‥‥。

 

 現実に起きて来た事が、”真の歴史” と言う事なのでしょうね。

 

 ただし、この ”語り手” により大きな違いを生むことになる歴史の解釈。自分も決して深い部分まで学んだ訳では無いので大きい事は言えないとは思いますが、一方的な語り口だけで物事を判断するのでは無く、多方面的な意見を聞き入れ、取り入れ、自分の中でその答えを導き出すことが大切なのでは無いかと思います。

 

 この事は歴史の事に限らず、現代の情報化社会。世の中にはプロパガンダ的な情報操作や印象操作が多くの場面で見受けられると思っています。一方的に発信される情報を鵜呑みにするのでは無く、その先の部分を自分なりに考え、解釈し、選んで行く事も、これからの時代とても大切な事なのでは無いかと歴史の学びを通して、再認識させられた部分でもありました。

 

 一方的に発信され続けている超資本主義的思想の世界。一方で全ての人が裕福になる訳では無く、局所的に富が集中することを助長し、そしてその集中した富はさらなる格差を生み、分断を生み、争いを生み出してしまう。普段の生活に密着している部分でさえ、大きな力が働き大きな影響を受けていると言う事も、少し考えて見るのも良いかも知れないですよね。

 

 そして紛れもなくそれらの事が、現代の歴史を作り上げている物なのでしょうからね‥‥。

 

 さて、こちらが日本の終戦の標準年表になります 

 

 年表とは言いながらも内容は1945年の一年の中に起きた出来事‥‥。この僅か1年と言う時間の中で、日本や世界の情勢は激変して行きます。

 

 第一次世界大戦の時とすると、目覚ましい進化を遂げた殺戮兵器の数々‥‥。その殺戮兵器の進化は、大量殺戮を可能とし、被疑者と被害者との距離感をも大きく広げました。

 

 以前NHKの番組でもやっていたのですが、この ”被疑者と被害者” との距離が大きくなって行く事(飛び道具や、自分の目先に被害者が見えにくい状況)はさらなる大量殺戮を生み出して行く。と言う様な悲劇を生み出すとの事でした。

 

 解りやすく言えば、日本刀を振りかざし、自らが人を切りつける行為と、ボタン1つを押せば、ミサイルが飛んで行き、自分の目の届かない ”非現実的なエリア” で多くの人が傷付いてしまう‥‥。

 

 明らかに ”罪の意識や感覚命の重さ” が後者の方が薄れる傾向が強く、この兵器の進化という物が、さらなる大量殺戮を生み出して行く物なのだ。と言う様な趣旨を番組内で言っていました。

 

 この第二次世界大戦も第一次世界大戦よりもさらに技術は発展し、多くの人の命を容易く奪う様な兵器が使われました。 

 

 ナチズムに代表される様なイデオロギー、 ””国家社会主義的”” (国の政治や方針は何があっても””絶対である!” 的な主義)な思想も強くあり、一般人を大きく巻き込むジェノサイド戦争となり、全世界で大勢の命が失われた時代となりました‥‥。

 

 先にも述べたと思いますが、太古の時代より、兎に角争いをやめない人間‥‥。現代社会においても、資本主義的思考と言う様なオブラートに包まれた表現の中で、表面的な争いでは無いのでしょうけど、目に見えない争いが、いや、実際に目に見える戦争までもが継続しているのですね‥‥。

 

 きっとこの先も終わる事が無い憎しみや、争いの連鎖。何でなんでしょうね‥‥?。

 

こちらが歴史年表地図になります。

 

 こちらはユーチューブの動画です。

 こちらはユーチューブの制作の勉強を兼ねてやっているので完成度は低いです。
ただ形になっているだけなので申し訳ないです😫


www.youtube.com

 

1. 日本の劣勢

 真珠湾攻撃では大きな戦果を上げましたが、日本の快進撃はこれだけでした。

 

 その後のガダルカナル島の敗北を皮切りに、日本は敗北を続け、戦況は悪化の一途をたどりました。しかし、この悪化する戦況は、プロパガンダにより捻じ曲げられ、大きく違った戦況が国民へと伝わる事となりました。

 

 戦況が悪化の一途を辿る終戦間際。アメリカ軍が沖縄に上陸した頃。日本軍は世界でも類を見無い様な戦術を取る事となりました。

 

 世に言う 「 特攻 (カミカゼ特攻隊) 」 です。

 

 多くの方は知っていると思いますが、この特攻とは飛行機や回天という人間が乗り込む事が出来る魚雷の様なものに多くの爆薬を積み込み、操縦士諸共敵の艦船などに突っ込むと言う、言うなれば ””自爆行為”” です。

 

 今の様にデジタルで制御を出来るほどの機材の制御技術が無かった時代。専らアナログ的な人間の手によって、命を懸けて、敵を撃沈させると言う様な方法しか取れなかったでしょう。

 

 捻じ曲げられた思想や、同調圧力、教育、プロパガンダ。様々な物により未来ある若者を洗脳し、前線に送り込み、そして多くの若い命が失われる事となりました。

 

 この特攻に関しては多くの書籍や映画なども出ていると思います。最近の有名な物であると、元V6の岡田君主演の

 

 

 『 永遠の0 』

 


www.youtube.com

 

 

 本当に最近公開したての映画もあります。

 

 自分はどちらの映画も見ていませんし、見る気もありません‥‥。100%涙腺崩壊すると思われますので‥‥。映画館で、知らないオッサンが隣で ””ズビズビ”” やってたら、ドン引きしちゃいませんか??。若い頃より涙腺の筋肉が衰えた現在では、尚の事でしょう。サザンの歌と、この予告編だけでも少しダメですもん。

 

 

『 あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。 』

 


www.youtube.com

 

 この舞台となった 『 特攻 』 と言う物が行われた際に、最後に大空に飛び立った舞台の一つが鹿児島にあります。

 

 『 知覧特攻平和会館 』 です。ご存じの方も多く居ると思いますが、自分はこの施設に20代独身の頃に訪問した事があります。

 

 本当に心がえぐられました‥‥。

 

 多くの事を考えさせられ、多くの事に気づき、そして、人生の道標の様な施設になった事は間違いありませんでした。

 

 『永遠の0』 の原点がここにあります。是非、記事だけでも一度目を通して見て下さい。そして、人生の中で一度は訪問されてみる事を強く勧めたいと思います。自分も子供達を連れて再来したいと言う細やかな夢はあるのですが、まだ叶っていません‥‥。 

 

okite910nete1820.hatenablog.com

 

 当初は効果的だったこの作戦も、対策を取られると徐々に戦果は上がらなくなり、日本の戦況を大きく好転させるだけのきっかけにはなりませんでした。

 

 ここでも太平洋戦争で日本の国内で初めてとなった沖縄戦は熾烈を極め、最終的には多くの犠牲者を出す事となってしまいました。沖縄戦に纏わる有名な話も沢山ありますよね‥。

 

2. ドイツの降伏

 時を同じくしてドイツでも、アメリカ軍の最大級の上陸作戦 ””ノルマンディ上陸作戦”” により追い詰められる事となり、一時は優位に立っていたドイツも徐々に追い詰められて行く事となり、追い詰められたヒトラーは最終的に自害し、間も無くドイツはイタリアに継ぎ降伏する事となりました。

 

 1945年 5月 の事になります。

 

3. 2度の原爆投下

 

 8月6日 広島

 8月9日 長崎

 

 もしかすると、二度の原子爆弾の投下と言う最悪のシナリオは、避けられたのでは無いか?と言う様な知識は浅いながらでの仮説が立ちました。

 

 日本は原爆投下の少し前に、連合国側よりポツダム宣言受諾の打診を受けます。しかし日本はこれを無視します。この辺りのニュアンスは、浅い学びなので何とも言えませんが、瞬時には ””受け入れなかった”” と言う事は事実なのだと思います。

 

 もし、ここで日本がポツダム宣言を受諾していれば、その後の大きな悲劇を起さなくとも済んだのでは無いかな?的な浅はかな仮説が立った部分でもありました。

 

 しかし、当然ながら歴史に ”もし" は有りません‥‥。 ”何故原爆を使用したのか??” 

 と言う明確な理由は実際には解らない見たいなのですが、最終的にアメリカは日本の一般人に向けて世界初となる ””原爆の投下”” を行いました。

 

 先にも述べましたが、パイロットのした事と言えば、広島と長崎の上空に飛行機で向かい、そこで 指先で、””原爆投下のボタンを押す”” だけ‥‥。

 

 その先に数十万と言う命が奪われたと言う事実とは対照的な位、指先1つで行う小さな行為。この被疑者と被害者の意識の乖離が、現代の戦争と言った意味でのさらなる罪深い部分なのかも知れないですよね‥‥。

 

4. ソ連の参戦

 弱り目に祟り目‥‥。泣きっ面に蜂‥‥。

 

劣勢の日本にさらなる悲劇が訪れる事になりました。広島と長崎に原爆が投下された丁度中間の8月8日。

 

 ソ連は4ヶ月前に一方的に日ソ中立条約を破棄しており、ここに来て突如の日本に対しての宣戦布告。満州や千島列島、樺太に侵攻したのでした。

 

 この侵攻は既に連合国の中で密約が交わされていた物で、日本にはその情報が入って来ることはありませんでした。少し前に行われた ”ヤルタ会議” にて、””極東密約””としソ連侵攻の青写真が既に描かれおり、言わば公認の出来事。

 

 この当たりは学び直しをして見て本当に考えさせられました。アメリカという大国の凄さや、政治の汚さや、人間の欲望や、外交の難しさや、したたかさや‥‥。本当に綺麗事だけでは済まされないような欲望渦巻く大人の世界を垣間見た感じで、学生時代とは全く違った ””理解”” と言う部分で、色々な事を学んだと思います。

 

 力を持たずば飲み込まれてしまい‥‥、力を持ったら持ったで、まるで餓鬼の様に、さらなる力を持とうとする‥‥。

 

 社会の中や、会社の中で見てきたの出来事も、スケール感や人物像が違うだけで、同じ様な様相を繰り広げた世界が広がっている‥‥。結局の所、人間の欲望が作り出す世界には、何だ変わりが無い物だと言う事も薄らと学べた気がしました。

 

 現代でも ””北方領土問題”” として未だ解決していない問題の事の発端が、この部分であったのだという深い理解を、恥ずかしながらこの歳になり出来たと思います。

 

 ここでももしです。

 

 もし、原爆投下前にポツダム宣言を受け入れていたら、北方領土はソ連に侵略されなかった?って言う浅はかな疑問も生まれましたね‥‥。

 

5. ポツダム宣言受諾

 とうとう日本も追い込まれてしまいます。

 

 広島に原爆が投下され、ソ連が満州、千島列島、樺太になだれ込み、いよいよ

 

「ポツダム宣言受諾もやむをえないだろう‥‥ 」 と言う会議が行われている最中に長崎への、日本で二発目の原爆が投下されたと言う報告を司令部は受ける事となりました‥‥‥。

 

 どう考えても遅い位の最終決断‥‥。

 

 本当にタイミングという物は数奇な物です。何処かで何かのタイミングが違っていれば、違った分岐点、違った未来があったのかも知れない‥‥。本当にそう考えられるような出来事がこの時代特に多かったと思います。言い換えれば、それだけの分岐点での必要な判断を誤れば、大きな失敗や、沢山の不幸を作り出すことに直結してしまっていると言う事が言えるのでしょう‥‥。

 

 それだけ問題が多角化し、グローバル化し、スピーディになっている。その分岐点で、正確な舵取りが出来る事が、現代にも通じる政治を行う人間の大きな責任なのでは無いかと考えます。(今の政治家は果たして出来ているのですかね‥‥?)

 

 日本はいよいよこの ””ポツダム宣言”” を受け入れ、無条件降伏を受け入れる事となりました。

 

 決して戦争に対しては否定的であった昭和天皇の ””玉音放送”” により、日本は

” 敗戦国 ” と言う事を認め、ここで多くの人を苦しめた ” 太平洋戦争 ” が終結する事となりました。

 

 現在講読中の ”” 昭和天皇物語 ”” 。 7巻が読み終わり、大正天皇が崩御し、いよいよ天皇となった裕仁皇子。

 

 満州事変が始まった時期で、この先の日中戦争へと繋がって行く部分にまでようやくやって来ました。

 

 

 

 8巻以降はまだ購入していないので、近いうちにTSUTAYAで予約をして、お正月休みにでも纏めて読もうかと思っています。

 

 次のパートは ””戦後日本の民主化” になります。敗戦国となった日本は、表面的には列強国の植民地化すること無く復興を目指して行く事になります。

 

 しかし表向きには ””表面的” と言う様な言葉を使用したように、この後、いえ、現代に至るまで、 ””アメリカ”” と言う超巨大な国の存在が、復興の段階でも、その後に及んでも、とても大きな影響を与える事になって行く事になります。

 

 本当にアメリカって国は凄い国ですよね‥‥。つくづく思いますよ。

 

 この期間の歴史は、言わば日本の黒歴史の様な時代。近隣諸国にして来た蛮行や、国が国民に対して行って来た政治。多くの意味で、本当に ”” 色々な事 ”” を学ぶ事が出来る時代だと思います。色々な部分を踏まえた上での物言いは勿論大切だし、だからといって、過去に囚われすぎるのも決して良くない事。

 

 多くの事が現代とも直結しており、今回の学び直しは、政治や国のあり方としての考えなども、自分の中ではより確信的な物になりました。この時代、少しややこしい部分も多いですが、理解を深めることは多くの人に取って、決して悪いことでは無いと言う事は、言えると思います。

 

最後まで読んで頂いた方、感謝します!。ではまたです🖐🖐🖐。