今日は当ブログの本題、作成中の年表地図の23ページ目
”第一次世界大戦”
になります。
歴史年表地図もいよいよ全体の2/3を突破し、5/6に差し掛かるまでになってきましたね。少しずつ一歩ずつゴールは近づいて来ています!
今回も勿論、あくまで歴史初心者的な目線で見ていきますのでご了承ください😅。
内容途中に誤字や間違いなども,きっと見落としや勘違いなどもあるかもしれませんが、あくまで自家用として作成しているので、その辺はご勘弁。
前々回の日清・日露戦争、前回のパートの日本の産業革命と文化、そして今回の第一次世界大戦(WW1)は、時間軸的にはほぼ、同時期の出来事のパートになります。
世界規模の戦争が起こってしまった‥‥。でもその戦争の主戦場は、日本から遠く離れた地、 ヨーロッパ でした。日本も、日英同盟の関係で参戦となりましたが、言わば対岸の火事のような戦争。
幸か不幸か、日本は戦争特需による ”超好景気” 。その ”超好景気” もまたある意味次の時代を作って行くPOINTとなるので、その辺を意識して理解して行けば、このパートは分かりやすいかも知れません。
まず、第一次世界大戦が起こった理由や、場所の把握が中々難しかったりする場合は、自分のバイブル、
『 ドグマ君の世界史 WW1 』
を見て、ザックリと、戦争へのきっかけと、内容を理解します。
第一次世界大戦の全体のザックリの流れはドグマ君を見れば完璧に理解出来ます!。
高校以降、全く歴史を学んでこなかった自分に取っては、WW1の起因となった事や、WW2への根っことなる部分まで、浅くですが、理解出来たと思います。
もう少し深い内容を知りたいな~。と言う時は、
「丸竹夷さんのWW1シリーズ」 を見れば理解はさらに深い物に!。
様々な民族対立や、産業革命によるステージが変わってしまった資本主義思考による益々の帝国主義思考。それぞれの国が、それぞれの国民や民族が、様々な思い、様々な、決して歩み寄ることなど出来ないそれぞれの欲望が、この戦争を作り上げて行ったと思います。
次に、先にも触れましたが、WW1が起きた時、日本は何が起きたのか??。本当にザックリな解説ですけど、
- WW1がヨーロッパ中心の戦争であった為、ヨーロッパ各国の列強国が、ヨーロッパ中心でのせめぎ合いとなったため、アジア侵攻の気運が激減した。
- 日英同盟を結んでいた日本は、ドイツとは敵対する国となった。(ドイツとオーストリア、イタリア、ハンガリーなどの同盟国、対するはイギリス、フランス、ロシアの連合国との戦争だった)
- 日本はそれを良いことに、ドイツの息の掛かっていた地域、中国の一部や、東南アジアに攻め込み、日本の統治下に納めた。
- ヨーロッパでの物資の不足から来る戦争特需が起こり、産業、(特に重工業、武器の輸出や、造船業)などが巨万の利益を上げることとなる。
- 借金まみれの債務国だった日本が、他国に金を貸すほどの債権国となった。
- 藩閥政治から民本主義への移行思想が強まった。
- 大正デモクラシーと言われる民主主義的な風潮が広がった。
この様に、ヨーロッパと言う対岸の火事的な戦争だった為に、当地では多くの犠牲者を出すような悲惨な戦争ではあったのかも知れませんが、日本にとっては、マイナスの要素よりも、むしろプラスの要素の方が色濃く見えるような、そんな戦争だったのかも知れません‥‥。
誰もが思い出される教科書の挿絵ではないでしょうか?
この時代のザックリとした流れと、一番の重要な事は何か?
この時代、ザックリな流れで行くと
一番重要な事、流れは、この後の時代へと繋がって行く ”ベルサイユ条約” では無いでしょうか??。
WW1、WW2の戦犯と言えばドイツでしょう?では何故、一度ならず二度までも主戦犯となってしまったか?、と言う理由は、WW2においてはベルサイユ条約が理由に大きく関係していることを、ここに来て前後の流れ関係から、学生の頃よりは遙かに理解出来たと思いました。
ここに余談ですが、本当に高校の時に、日本の学生が、1時間も日本史や世界史の勉強をしないアンバランスさを、思い返すと 『どうなのかな??🤔』 って最近強く思います。まぁ、もし自分が学生の時に、仮に単元があったとしても、キチンとは学んでは無いと思いますけどね😅。
でも、深い歴史では無くとも良いから、通史的な世界の生い立ち、宗教の生い立ち、日本史の生い立ちも中学生よりも少し踏み込んだ内容くらいの物は必要なのでは無いのかな??。とも思いました。まぁ自分の様に中学時代での知識もゼロの状態で、そんな事をやったとて、所詮意味が無いことなのかも知れませんね‥‥‥。
でもでも授業コマ数 『 ゼロ 』 って、偏り過ぎてると思いませんか?理系の高校などはそもそも皆そうなのですかね?
さて、こちらが第一次世界大戦の標準年表になります ↓
- 鬼の居ぬ間の洗濯を決め込む日本‥‥
- 高みの見物を続けるアメリカ‥‥
- 泥沼化して行く主戦場‥‥
- 四面楚歌となって行くドイツ‥‥
こんな風に、立場が違えば、こんなにまで戦争をしている裏側で、理不尽な事が起こっているのか?と考えさせられるくらいに、本当に戦争に正義は無く、泣く者もいれば笑う者も居ると言う不条理な世界‥‥。一部の人間の底の無い欲望の果ての結果だと言う事を、それぞれの戦争の起こって行く過程を再認識して行く中で、少しは理解出来ました。
今のソ連でも、戦争をしている国なのに、同じ国内の一部の人間は海外旅行を楽しんでいる人たちも存在する。少し理解に苦しんでしまう自分がいます‥‥‥。
こちらが歴史年表地図になります。
こちらはユーチューブの動画です。
こちらはユーチューブの制作の勉強を兼ねてやっているので完成度は低いです。
ただ形になっているだけなので申し訳ないです😫
1.サラエボ事件勃発からの
以前に述べましたが、
『 ヨーロッパの火薬庫バルカン半島。そのボスニアの首都でオーストリアの皇太子がセルビア人によって暗殺された‥‥ 』
で開戦となったと教科書では習った記憶しかありませんデシタが、(それすらも危うい感じしかしませんが) 「サラエボ事件」 はWW1開戦の全ての理由では無く、開戦を引き起こす為の既成事実、言わばトリガーでしか無かったと言う事を、この学び直しで再確認する事が出来ました。
「サラエボ事件」 が起こる前より、ヨーロッパでは帝国主義の覇権争いや、宗教、民族対立、各国の政策(3B政策 VS 3C政策、ロシアの不凍港を求めての南下政策)など、それぞれの国の、それぞれの思惑が入り乱れ、不安定極まりない状態で起きたのが、この 「サラエボ事件」 デシタ。
フラストレーションがたまりきった状態で、何か大きなアクションのきっかけを求めていた各国。同盟関係や、協商関係を後ろ盾に、その欲望がぶつかり合う 「トリガー」 には十分な事だったのでしょう‥‥‥。
オーストリア、セルビア間で起きた小競り合いが、瞬く間にヨーロッパ中を巻き込む大戦争へと、なって行ってしまったのでした‥‥‥。
2.ドイツ降伏、ベルサイユ条約からの
各国の利権や、覇権争いの象徴として始まったWW1。当初は同盟国、協商国、五分五分の戦いをしていたものの、度重なる戦況の変化や、ロシア国内での革命の勃発。一枚岩とはいかない烏合の衆的な関係性‥‥。
ドイツの無制限潜水艦作戦により、アメリカの逆鱗に触れる事となり、最終的に中立的な立場であった ”アメリカ” が参戦してきた事。
ドイツはこの度重なるイレギュラーにより、最終的に孤立する事となり、四面楚歌状態となりました。
こうなるともう、戦争を続けて行ける状況ではなく、最終的にドイツも降伏‥‥。
講和条約(敗戦国の賠償問題や、条件などを提示した物) を結ぶ事となりました。
これが歴史の大嫌いだった自分でも 「ポーツマス条約」の次位に聞き覚えのある条約。
「ベルサイユ条約」
が締結される事となりました。勿論現役学生の頃は、内容などほぼ分かりませんでしたよね(笑)。
フランスのベルサイユで結ばれたドイツに対する講和条約でした。
ドイツは拒否するだけの力は既に残って無く、全てを請け負えざる得ない状況に追い詰められていました。ドイツにとっては非常に厳しい条件
- 領土の制限
- 軍備の制限
- 超巨額の賠償金
を突きつけられる事となります。
これが次の歴史への大きな転換点ともなったのでしょう。必要以上に追い込みを掛ける。逃げ場のない、閉塞感は、やがて行き場の無い、誰にもぶつける事の出来ない大きな ”負の感情” を生み出します。
「 窮鼠ネコを噛む 」
と言うことわざがある様に、このドイツに対するベルサイユ条約は、
『 窮鼠 』を生み出し、後の大きな大戦の ”火種となる物” を結果、作り出す事となってしまいました‥‥。
この、国民の ”負の感情” を巧みに利用する者が出現します。
👨🏼「自分たちがこんなに虐げられ、大変な思いをさせられるのは、ベルサイユ条約を押し付けて来た外国の連中が悪いんだ!!。」
そう言い、自国の閉塞感は全て ”人のせい” に仕立て上げ、中に溜まったフラストレーションを自国の中枢の ”政治” と言う方面に向けさせるのでは無く、自国の外に目線を逸らさせる事を言葉巧みに行い、そして国民を団結させました。政治の演説での論点のすり替えなども、問題に真摯に答える事無く、目先を変えさせてしまう手法もこれに近いのではないでしょうか?とにかく、 ”真実から目を背けさせる” そんな事がとても上手だった人物がこの時代に台頭してきました‥‥。
この人物については、今度詳しく触れる事としましょう。
この政治手法は、現在でも巧みに利用され、近隣の国家でも頻繁に利用されている状況を良く目にします。お隣の大国でも、急激にバブルが崩壊し始め、大量の膿が一気に噴き出した状態になり、そのことを、海外のせいにし、目線を外に向けさらには侵攻行為を行わないか?などと非常に今は心配をして、状況を見ています。
3.国際連盟発足見たいな感じでは無いでしょうか?
世界規模で、これだけの被害を出し、大損害を受けた各国‥‥。流石に少しは平和への歩み寄りを見せようとしました。その先駆け的存在となったのは
『 国際連盟 』
では無いでしょうか?。アメリカの提案で作られた組織‥‥‥にも係わらず、考案者のアメリカが参加しないなどと、当初から波乱満載で発足した世界規模の平和促進のための組織‥‥。
人間だって3人以上集まれば、よほどの事が無い限り同じ方向を向く事など難しいでしょう‥‥‥。それが国レベルの集まり‥‥。しかも自我の強めの国も多め‥‥。
案の定、一定の効果はあった物の、決定的な決め手となる事無く、問題点も多かったこの組織運営。中々目に見えた成果を出すことは難しかったみたいです。
まぁ誰だって自分の事は可愛いですからね‥‥‥。平和を望む声は有れど、欲望の前にはきっと無力な存在だったのかもしれないですよね‥‥。
さて、次の章は 大正デモクラシーと社会運動 になります。
第一次世界大戦の戦争景気に沸く日本。しかし歴史は ”平家物語” 。盛者必衰なのです‥‥。 盛者はいつまでも盛者ではいられないのです‥‥。この頃今まで順調に回っていた歴史の歯車が、突如大きく狂いだします。そして一度狂った歯車は、さらなる狂いを作り出して行くのです‥‥。
藩閥政治に対する不満が国民を大きく動かし、政治のステージが国民主体の物に変化して行く‥‥。時を同じくして数々の不幸が日本を、世界を襲う‥‥。政治でどうこう出来る問題では無いが、政治のせいにされ失速して行く‥‥。次なる強権的な政治が台頭して行く‥。そしてWW1の敗戦国であるドイツ。その中心的人物と共に歩む様になって行く‥‥。
大正時代は15年しかありません。でも、その中には本当に ”激動” の15年があり、政治的にも、世界的にも、国民的にも大きな変換点となった時代なのかもしれません。
超強権的な政治を行った人物が突如出現する時代。でも、一歩目線を引いてみると、その強権的な独裁者を作り出したのは、極限まで人間を追い詰めてしまった行為そのもの。そんな行為がそんな ”独裁” と言う物を奇しくも生み出す結果となってしまったのです。次回はその辺も紹介しつつお話を作って行きたいと思います。長くなりましたが、
最後まで読んで頂いた方、感謝します!。ではまたです🖐🖐🖐。