okite910nete1820’s blog

歴史が嫌いだった自分が学び直して、簡単な歴史の地図を作ってみます。

開国と江戸幕府の滅亡 【18/30】

今日は当ブログの本題、作成中の年表地図の18ページ目

 

”開国と江戸幕府の滅亡

になります。

歴史年表地図もいよいよ全体の1/2を超えて終盤へと向かう所にやって来ました!。

今回も勿論、あくまで歴史初心者的な目線で見ていきますのでご了承ください😅。

内容途中に誤字や間違いなども,きっと見落としや勘違いなどもあるかもしれませんが、あくまで自家用として作成しているので、その辺はご勘弁。

中学校の教科書通りに進むと、ヨーロッパの列強国と言われた国の歴史の流れ、海外の歴史のパートが前回まで有りましたが、ここでまた国内の歴史に戻って来ます。

 

ここからは、本当に大きな時代の転換期。今までの歴史は、”国内” と言う小さな山の中で起きていた事象。この時代からは、山が大きくなり、 ”世界” との関わりを大きく強めて行く事となる歴史になって来ます。

 

急激に多角的な政治の舵取りを要求される上層部。押し寄せる列強国。対立する舵取り。まとまらない意見。時代遅れの思想。先を見た思想。それぞれの自分欲‥‥。

 

本当に色々な物が同時多発的に押し寄せ、江戸時代とは打って変わって時代が激動して行きます。本当に ”激変” です。

 

このパートは今までの動きの少なかった江戸時代に比べると非常に面白い!!。世界史も表面的にでも学んで来て、そちらの方ともリンクをして、学生時代には全く面白いと思わなかった幕末から明治にかけてですが、本当に面白く理解が出来たと思いました。

その時役にたったのが、やはり自分の中でのもう一つのバイブル。丸竹夷さんのYouTube高校。

 


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本当に彼の動画は分りやすい!。こんな素晴らしいコンテンツが自分の学生時代に有ったなら、きっともっともっと勉強が出来たかも知れませんよね(笑)。そもそもそれ以外の物に、恐らく流れて行ってしまうでしょうね(笑)。

 

まぁ丸竹夷さんは中学生位の学習には少し深すぎるので、もう少し浅い感じのやはりドグマ君でザックリとした大まかな流れを学ぶのが良いと思います。

 


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学生時代、明治時代から昭和まではグチャグチャグチャグチャしていて、本当に大嫌いでした。この時代のパートを学ぶ際には、 ”何故” を考えれば、その答えが全部繋がってくるので、一つ一つの出来事の意味を考え、その答えが次の歴史となって行く的な感じを意識しながら、理解して行くと頭に入り易かったです。

まぁ何時の時代もそうはそうなんでしょうけどね。

 

この時代のザックリとした流れと、一番の重要な事は何か?

 

この時代、ザックリな流れで行くと

 

 

イチ番重要な事項は ”アヘン戦争” では無いでしょうか?

 

海外列強が力を付ける中、このアヘン戦争は国内の様々な考えをさらに分断する事となりました。この列強国への対応で、幕府やそれを取り巻く情勢が、大きく意見を対立させた事が、最終的に幕府の滅亡や、明治維新へと繋がって行く感じだと思います。

 

国の運営と言う様な大きな話ではなく、小さな会社や、コミュニティ内での出来事をイメージして理解して行けば、より一層理解しやすかったです。

 

なんせ、実社会生活で、嫌と言うほど見せつけられて来た物が、普通に歴史上の流れで起きていただけなので‥‥‥。

 

江戸末期のザックリとしたイメージ。会社組織で例えて見ると‥。

 

小さな企業が、外国資本の超巨大会社から圧力を受けるようになり、必然的に会社の上層陣は対応を迫られます。

 

そこで、「今までは大丈夫だったので、これからも大丈夫だ!!」と言う様な、変われない、変わりたくない、今の日本政府のような思想を持つ集団。

 

既に海外勢と、自分の会社のあまりにも開きのありすぎる実力差を理解している集団。

そして、何だかの措置を取らなくては会社は持たないと考える集団。

 

様々な情勢を踏まえ、その上で混沌に乗じ、虎視眈々と会社の実権を狙おうとする下請け業者。

 

まぁいい加減ですがこんな感じ(笑)、日常でも良く見かける構図で、この江戸末期から、明治維新までは進んで行きます。ようは、新たな勢力と、旧体制の権力闘争ですよね。

 

さて、こちらが開国と江戸幕府の滅亡の標準年表になります 

18世紀の終わり頃から、海外からの ”チャチャ” が頻繁に入り始めます。

その対応に ”右往左往” する幕府。その取り巻き。権力、私利、私欲、思想、理想、本当に様々な物が渦巻きながら、江戸時代の終焉、 江戸幕府の滅亡” へと繋がって行きます。

 

こちらが歴史年表地図になります。

 

こちらはユーチューブの動画です。

こちらはユーチューブの制作の勉強を兼ねてやっているので完成度は低いです。
ただ形になっているだけなので申し訳ないです😫

 


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1.アヘン戦争からの

アヘン戦争の少し前の頃より、海外からのチャチャが多く入る様になって来ました。何故なら以前のパートでやった

 

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より、産業革命により手に入れた革新的な技術力と戦力を後ろ盾に、アジア各国を支配下に治めようと、時の列強国はアジアの国々を侵攻しまくりました。しかし、この時の幕府の海外列強への対応は、ブレにぶれまくりました。蛮社の獄などで開国派を弾圧したり、列強を大砲で撃ち、追い返したりと‥‥。

 

そんな中大事件が勃発します。

 

アヘン戦争”  です。

 

あのアジアの強国 ”清” が戦争で負ける‥‥。

 

この事がきっかけとなり、幕府の対応が激変しました。

 

”あいつらはマジヤバい‥‥‥💦。”

 

2.アメリカの来航、開国からの

弱腰になる幕府は日米和親条約・修好通商条約を次々に結び、安政の大獄へと繋がる。

 

(もし、偉人、吉田松陰が処刑されなかったら?。歴史にもしは無いけれど少し考えてしまいました。)

 

安政の大獄での不満が桜田門外の変へと繋がる。

 

蛮社の獄で弾圧した者達、安政の大獄での弾圧した者達の思い。

 

人物は居なくなれど、その思いは引き継がれ、後の時代の大きな流れを作り出した。

このフレーズ 鬼滅の刃 で産屋敷さんが言っていた事みたいですよね。

 

学生時代大嫌いだったこの時代。いくつかのワードをきちんと噛み砕くことで、理解がしやすかった気がします。学生時代全く分らなかったワード‥‥。

 

 

ここのパートではこのワードのきちんとした理解を深めて行けば、歴史の流れをとてもつかみやすかったと思いました。

 

何時も思うのですが、こんな事を、現役学生時代に理解し、 ”面白い!!” と思う人たちがいる‥‥。本当に凄いですよね。どれだけ精神年齢が高いんだって話ですよ。自分なんかは人生が着陸態勢に入り出そうとしている今ですよ(笑)。まぁ何時も言ってしまいますが、言いっこ無しですよね(笑)。

 

ここでも後で深掘りノートに記入したい疑問が。

 

薩摩・長州の強さはモヤッと分るのですが、土佐藩肥後藩の強さの秘密。この辺りも何故こんなにも力を持てたのかは疑問であり、学んで見たい所でもありました。

 

桜田門外の変後は、長州の爆走により大きく政治が動き、その長州と最初は敵対していた薩摩が同盟を結ぶことで、次の時代への大きな流れとなって行くのですね。

 

そしてこの時代。愛読の漫画 ”日本を創った男 渋沢栄一

 

             

が活躍した時代へとなって行きます。

 

余談ですがこの渋沢栄一、ザックリな言い方ですが ”官” の人間から ”民” の人間になった人物。この混沌とした時代にこれだけの富を築いた‥‥。言い方悪いですが、混沌を利用したとも言えるでしょうか??

英雄視論的な物よりも、むしろ現代のオリンピックの誘致の問題のような、政治と利権の強い結びつきが、これほどにまで影響力のある人間を作り出したのでは無いのかな??的なおバカな仮説も立てて見たりもしたので、この辺りは、後できちんと色々な角度から学び直しもしたいと思っています。あくまで今の物言いは ”自分の仮説的意見” でしかないのでね。

 

3.開国後の対立からの

開国後、公武合体尊皇攘夷、開国派、鎖国派、様々な思想のぶつかり合いの中で、幕府の反勢力の大きな力は徐々に ”倒幕” と言う方向性で固まりました。

新しい時代の流れに対応しきれなかった徳川幕府は、ここでも 平家物語の ”盛者必衰” となり、700年近く続いた 武士による統治 ”幕府” はいよいよ終演を迎える事となってしました‥‥。

 

4.徳川幕府滅亡みたいな感じではないでしょうか。

またもや余談ですが、徳川最後の将軍 慶喜” 。 徳川家と強い結びつきのあった渋沢栄一慶喜の行った東照宮の改修工事にも大きな尽力を尽くしました。

 

 

その尽力を称え、日光東照宮の石碑の横には ”渋沢栄一” の名前が。これも最近知ったほやほやのトリビアでした。

 

 

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家康が関ヶ原の戦いで勝ち、戦国時代には成すことが叶わなかった武士による安定的な統治の形、 ”江戸幕府

 

内部の情勢と言うよりは、今回は招かざる物の出現によりその座を次の時代へと移さざる負えなくなりました。

 

海外からのチャチャが無ければ、もう少し延命は出来たのかも知れないですよね。

 

歴史は本当に ”盛者必衰”。 これに尽きると思います。

 

大政奉還

 

学生時代は”統治を幕府から天皇に返納した”、的な表面的な物としてしか理解していませんでしたが、意外にも徳川家の政略的な作戦だったと言う事を知りました。

しかし、反勢力もさらに一枚上手。

王政復古の大号令 なる返し技的な大技で、徳川家の政治への介入を封じ込め、完全に徳川の力を、政治の世界から排除する事に成功しました。

後の藩閥政治の主役となる、薩長土肥の方が、一枚も、二枚も上手を行ったって事なんでしょうね。

 

この一連の騒動、大政奉還王政復古の大号令が後の大きな内戦を引き起こす事となりました。

日本近代における ”最大の内乱”

 

戊辰戦争

 

へと繋がって行く事となりました。

 

本当にこの辺も人間の私利私欲のぶつかり合い。最高に面白く感じましたね(笑)。

そんな曇りガラス越しに見る歴史も大人となった今では可としましょう!。

 

次のパートは 明治維新

 

今までは、小さな島国の中だけでの政治でしたが、明治の時代からは、

”世界の中の日本” としての地位を確立して行かなければならない時代になって行きます。その中で、権力を手にするもの。権力を手にした者の行く末‥‥。それを繰り返しながら、時代は徐々に近代化をして行くこととなり、現代の基礎となるような法律や、政治体制が行われる時代になって行きます。

 

本当にこの時代は浅くしか学んでませんが面白いパートになりました。全体の纏めが終わったら少しだけ色々な方面で学び直しをして見たいデスよね。

 

最後まで読んで頂いた方、感謝します!。ではまたです🖐🖐🖐。