今日は当ブログの本題、作成中の年表地図の14ページ目
”江戸時代の産業の発達”
になります。
歴史年表地図もいよいよ全体の1/2、折り返し地点まであと一単元です!。
今回も勿論、あくまで歴史初心者的な目線で見ていきますのでご了承ください😅。
内容途中に誤字や間違いなども,きっと見落としや勘違いなどもあるかもしれませんが、あくまで自家用として作成しているので、その辺はご勘弁。
今回の単元は江戸時代全体の流れの中での、産業や商業に付いてのパートになります。
正直、深掘りすれば面白さも見いだせるのかも知れませんが、何となく暗記中心のパートの様な気もして‥‥‥。まぁ地理なんかとリンクさせて学ぶパートなんでしょうね。
江戸時代全体を作り上げた大まかな流れ。
締めて~緩めて~締めて~緩めて~THE END
この流れの中に、それぞれにリンクしたイベントが起きたり、人物がいたり、色々な事が密接に結びついています。
例を挙げると、締める時に行った法律の整備(法度)や、緩めるときに行った経済政策、改革。
江戸時代初期に確立された幕藩体制と、参勤交代、鎖国。これらの様々な事象と結びつき、江戸時代特有の時代をを作り上げて行くと言っても良いと思いました。
この時代のザックリとした流れと、一番の重要な事は何か?
この時代、ザックリな流れで行くと
一番重要な流れは、交通網や流通網の発達では無いでしょうか?
江戸時代初期に、鎖国をし、参勤交代を命じた家光。そこから日本は、究極の内需的な経済構築の時代となったのでしょう。外の門を閉ざしてしまったのだから、当然内部だけの世界になってしまいますよね?。
それがトータル的に見て、日本に良かった事なのか、悪かった事なのかは、自分歴史の初心者なので分かりかねます。
ただ、これらの事により、国内の様々な分野での現代にも通じる流通網としての基礎的な部分がこの時代に多く完成したのでは無いでしょうか?この、結果閉ざされると言う事により。
さて、こちらが江戸時代の産業の発達の標準年表になります ↓
こちらが歴史年表地図になります。
江戸時代全般の交通網や、産業を見て見ると、現代でもそのまま残っている物も沢山あり、現代の基本となった物がこの時代に出来た物だと言う事を知ることが出来ました。
事らが歴史年表地図になります。
こちらはユーチューブの動画です。
こちらはユーチューブの制作の勉強を兼ねてやっているので完成度は低いです。
ただ形になっているだけなので申し訳ないです😫
1.国内の交通網や流通網の整備からの
家康から家光までの時代で、長きに渡る江戸時代を作り上げた基本的な物が確立しました。
とにかく”なぜ反乱や、謀反を起こすのか?”その一番の原因は
金と力
だと言う事を徳川家は先の時代より徹底的に学び、その2つを効率的に持たせなくする制度を築き上げました。
幕藩体制と参勤交代ですね。
時の関ヶ原により大名の毛色が判明し、反乱因子を持つ大名は外様とし江戸より遠方に配置し、味方してくれた譜代、身内贔屓の親藩は江戸近郊に配置し、外様を見張らせ反乱を防ごうとしました。現代の内閣の中でもよく見られる景色ですね。
また、反乱の基盤ともなる財力を削り取るために参勤交代をさせて、遠方の藩ほど出費の嵩むような征策を作り、各藩が力や財力を付けないように、徹底的に監視することが、この長く続いた江戸時代を作り出した要因かも知れませんね。
ただ、この参勤交代。悪いことばかりでは無かったらしく、ヨーロッパでの十字軍の遠征時の時のように、大量の人の移動により、それと付随するように経済的な発展であったり、流通的な発展、交通網的な発展を同時に、さらに急速にして行く事となりました。
2.国内の産業の発達や財閥の卵の発生見たいな感じでは無いでしょうか?
こうして人や、物の動き、つまり ”物流の形” が整って来ると、もう一つ整って来る物があります。
そう、カネですよね。大量のカネの通り道が確立するようになって来ます。
いつの世もいるんですねぇ。そのカネの通り道の臭いを嗅ぎ分ける特殊能力を持った人間が。あぁ羨ましい‥‥。
彼らはそのカネの通り道を上手く利用し、カネでカネを生む様な仕組みを作り上げ、その後今の時代も存在する位のレベチの金持ち、 ”財閥” が出来たのもこの江戸時代からだった見たいです。
呉服業で財を成した三井財閥
銅貿易で財を成した住友財閥
三菱財閥は後の時代で出来て来る財閥なのですが、この2つの財閥はもう江戸時代から誕生し、現代に至るまで、経済界に多大なる影響を与えている存在だと言う事には正直驚かされます。
そして、江戸時代後期の産業。
問屋制家内工業から、工場制手工業に大きく産業が変化していく事が、後の時代へと切り替わって行く転換部分だったのかも知れませんね。
この事により、民主主義の根本の部分の悪い部分。富める者は更に富むを加速させ、更に産業にスピードが加わることにより、今まで起きてこなかった、これまでの問題とはまた違った問題が起き始めて来たのも、江戸時代末期、幕府の崩壊へと導いた要因の1つなのかも知れませんね。
ただ、江戸も末期ともなると、海外との関わりも非常に複雑化してきたので、この辺りは複合的な理由が沢山存在するのでしょうけどね。詳しくは素人なので、言及しません。
さて、次の単元はいよいよ全体の1/2の記念すべき単元
”江戸幕府の政治の展開” になります。
生類憐みの令や江戸の三大改革等。
うーん本当につまらない感満載ですが頑張って行きましょう!!。
最後まで読んで頂いた方、感謝します!。ではまたです🖐🖐🖐。