今日は当ブログの本題、作成中の年表地図の15ページ目
”江戸幕府の政治の展開”
になります。
歴史年表地図もいよいよ全体の1/2、折り返し地点までやって来ました🎉!。
今回も勿論、あくまで歴史初心者的な目線で見ていきますのでご了承ください😅。
内容途中に誤字や間違いなども,きっと見落としや勘違いなどもあるかもしれませんが、あくまで自家用として作成しているので、その辺はご勘弁。
今回の単元は江戸時代全体の流れの中での、政治的な流れに付いてのパートになります。
江戸時代全体を作り上げた大まかな流れ。(中田あっ君形式に言うと)
締めて~緩めて~締めて~緩めて~THE END
を作り上げた原因が正にこのパートに集約していると言えるでしょう。
「締める」、とは何を締めるのかと言えば、民衆や藩主などの税を納める組。
やはり、そちら側を締めると、色々な不平や不満、不景気、様々な軋轢等が生まれ出します。それを回避するために色んな政策を作り、時には縛りを緩めて見たり‥‥。
何時の時代かの何かの補助金のばら撒きなんかも、似たような物なんでしょうね。
丁度交流電源の周波数のように江戸時代は行ったり来たりをしながら、終焉を向かえる事となるのですね‥‥。この場合、50Hzでも60Hzでも考え方は同じで良いと思います。
縦グラフは幕府の財力や力。横軸はそのまま時間だと思って見て見て下さい。
締めて~緩めて~締めて~緩めて~THE END
財力アップ~財力ダウン~財力アップ~財力ダウン~幕府崩壊
グラフに文字を当てはめるとまぁこんな感じにまとまりますね!。
要は江戸時代は交流電源の周波数的な世界観だと言う事を頭に入れ、そこに、この山の時には何が起きたのか??。谷の時には何が起きたのか??。を当てはめて覚えて行けば良いのでは無いかと言う事を、今ブログを書きながら気付きました。
ので、こんな感じの勉強法もあって良いと思いますね。
この時代のザックリとした流れと、一番の重要な事は何か?
この時代、ザックリな流れで行くと
一番重要な流れは、3つの改革、3人の要人では無いでしょうか?
先ほどの江戸時代のバイオリズム的な時代背景と共に、この3つの改革、3人の要人はシンクロしてきます。それがこの時代は一番重要な政治の流れだと言っても良いと思います。そこに、飢饉や一揆、なども同時に関係してくるのですね。
江戸時代中盤以降に鎖国をしている最中の日本ですが、やはりチャチャは入り続けて来るんですね。
そんな中でのアヘン戦争での清の敗北‥‥。
これが、また時代を変えるトリガーとして、次の時代に移り変わって行くきっかけとなるんですね。
さて、こちらが政治の展開の標準年表になります ↓
こちらが歴史年表地図になります。
江戸時代全般(5代目綱吉以降)政治の流れが主となり、その合間に、寄り道してみると、文化や、学問なども大きく花開いた時代になるのかも知れないですね。
こちらが歴史年表地図になります。
こちらはユーチューブの動画です。
こちらはユーチューブの制作の勉強を兼ねてやっているので完成度は低いです。
ただ形になっているだけなので申し訳ないです😫
1.3つの改革、3人の要人
2.3つの飢饉
江戸時代の学習で重要な部分の代表と言っても過言では無いでしょう。
その前に単元の前半にとても興味深い人物がいますよね。
徳川5代将軍 綱吉。
浅くしか学んでいませんがこの犬公方も、行き過ぎた政治を行い、多大なる負担を幕府に及ぼした事を、面白可笑しく学び直しました。
子供に恵まれ無かった事を一人の僧に相談した事から始まるあまりにも有名な行き過ぎた政策。
生類憐みの令。
現代の過熱し過ぎた動物愛護保護法みたいな感じなんですかね?表面だけしか学んでませんが、相当イカレタ法律だったみたいですよね。
関係は無い別の話にはなってしまいますが、現代の世も、一匹の犬やネコをどうにかしてしまうと、全国放送レベルの事件になる‥‥。
片や伝染病予防の為だと言って、何千万羽、何千頭の鳥や豚や牛を人間の都合で平気で殺処分をしてしまう‥‥‥。
それはそれでどっちがどうだ?と言う事では無く、純粋な違和感を感じざるおえないですよね‥‥。自分だけなんですかね?。
そもそもこの生類憐みの令により財政難となった幕府を立て直すために始まった享保の改革。
歴史の流れで見て見ると、本当にこんな風に
財政が厳しくなったら対策を講じ、回復してきたと思ったら飢饉が来たり‥‥また対策を講じたり‥‥。
を繰り返して江戸時代が過ぎて行くのが学び直しをして分かりました。
そこに強く結びついてるのが、3つの改革、3人の要人になるんですよね。
3.鎖国の中での海外との交わり
鎖国中に交易を許されていた都市、長崎への修学の記事です。
okite910nete1820.hatenablog.com
ガラパゴス的な政治運営をしている日本にも、海外からの風当たりが徐々に強くなって来ます。貿易港だけの交易では無くて、さらなる交易の場を求めて日本へとコンタクトを取り出して来たのもこの時代の事でしょう。
始めの頃は突っぱねられていたものが、時間の経過と共に、徐々にその対応に変化を付けて行かざるおえなくなって行くのですね。
4.朱子学と陽明学
儒教は正確には仏教よりも前に日本に伝わって来ています。ただ、当時受け入れられたのは仏教の方でした。浅くですが学び直しをしてみると、当時の統治の仕方が儒教よりも仏教に沿った統治の仕方の方が都合が良かった的な部分も、ザックリですが、この儒教と儒学、朱子学、陽明学を学んでみて本当に表面的ですが理解出来た部分でもありました。
そしてこの時代もしかりですが、この朱子学と陽明学、2つの思想の違いが根っこの部分となり、江戸時代での大塩平八郎の乱や、明治維新へと繋がって行くんですね‥‥。
5.アヘン戦争で清(中国)がイギリスに敗れてからの日本の立ち振る舞いってな感じでは無いでしょうか?
ガラパゴス的な征策を取っていた幕府も、江戸の後半ともなって来ると、その鎖国している外側の外野が騒がしくなって来ます。
幕府に激震が走ったのが、隣国の大国清(中国)がエゲレスにボコボコにされたとの情報が‥‥‥。
この事が、1つのトリガーとなった出来事だったのかも知れませんね。
この海外にどう対応して行ったら良いか問題。それが江戸末期の開国に向けての動きや、明治維新の様々な部分に複雑に絡み合い、この先歴史が動いて行く事になります。
己の利権や、将来への非望論、不変を守りたい者、変化を起こしたい者‥‥。
一昔前の単純な問題だけでは無く、さらに複雑に絡み合った上での歴史が作られて行く時代にいよいよ突入して行きます。
まぁ言っても、客観的に見てしまうと、全てが私利私欲のぶつかり合いに見えてしまうのは、スレた大人の目線での見方なんですかね?😒。
さて、次の単元は少し海外情勢へと目を向ける単元になります。
海外の列強国がどのように日本に近づいてきたか的な事も含めて主にヨーロッパの列強国と言われる国の歴史にスポットライトが当たって行きます。
2単元ですけどね。
次は
”近代革命” になります。
海外列強の覇権争いの順序を意識しながら日本の歴史とリンクさせると、とても分かり易くなると思います!。
少し江戸のつまらなさから解放される気がしますね😏!!。
最後まで読んで頂いた方、感謝します!。ではまたです🖐🖐🖐。