okite910nete1820’s blog

歴史が嫌いだった自分が学び直して、簡単な歴史の地図を作ってみます。

日清・日露戦争 【21/30】

今日は当ブログの本題、作成中の年表地図の21ページ目

 

”日清・日露戦争

 

になります。

歴史年表地図もいよいよ全体の2/3を通過しました!。

今回も勿論、あくまで歴史初心者的な目線で見ていきますのでご了承ください😅。

内容途中に誤字や間違いなども,きっと見落としや勘違いなどもあるかもしれませんが、あくまで自家用として作成しているので、その辺はご勘弁。また今回は皮肉的表現も少し含まれます😑。

 国内では自由民権運動で、日本の政治の体制が大きく変わろうとしているさなか、やはりアジアでの日本の国の列強化を望む日本は、アジア近隣の国々に大きく干渉しだしたのもこの頃かもしれません。

 最終的にこの干渉の終焉が太平洋戦争へとつながって行く部分とはなって行くのでしょうが、当時の日本は、とにかく幕末に欧州列強国と交わした ””不平等な条約の撤廃”” を何としても行いたい部分が強かった。そのために海外列強国から認められるような強い国になるには、手段を選ばなかったと言っても良いかもしれないですよね。

 

 学生の頃は、明治維新の頃に続き、この明治維新以降の日清、日露、WW1、日中、WW2、太平洋戦争、終戦‥‥‥

 

までの順番や流れ、理屈や原因などは、あまり理解出来て無くて、江戸時代、室町時代に並び嫌いで、理解しにくかったパートの内の一つでもありました。でも、順を追って学び直しをしてみると、すべての出来事は起こるべきして起き、繋がって行っているのだと理解出来た部分でもありました。まぁどの時代の、どの部分でも実際そうなのでしょうけどね。

 

 ただ、この辺りの歴史は、ある意味非常にナイーブな部分も多く存在し、自分の思想によったり、右寄左寄中道的な物言い的な事からも、実際難しい部分があるとは思います。学校の授業では案外あっさりと進んでしまう様な気がしないでもないような??。非常に大切な部分なはずなのにですね。まぁ自分の場合は、ただ単に授業を聞いていなかっただけだと思われますけどね(笑)。

 

 なので、自分もあまり過酷な表現や言い回しを避け、つまらなくなるかも知れませんが、教科書に沿った様な物言いになってしまうかもしれませんがご了承下さい😓。あくまで素人なので、何処までの表現や言及が許されるのかが全く未知数ですのでね‥‥。

 

 歴史を学ぶ意味や、学んで面白かった事なんかを、最終的に書いて見ようとは思いますが、本当にこの歴史と言う物は、全てが

 

””人間の欲””

 

によって作られています。バファリンとは違い、優しさでは無く、ほとんどの成分が””欲”” で出来ているのがミソです!!。歴史もバファリンの様に半分は ””優しさ”” で出来ていたら、少しは世の中が優しくなるかもしれないですよね‥‥。自分は歴史の学者では無いので、あくまで自分のいい加減な持論程度ですけどね。

 ここから先の歴史もこの とめどなく膨れ上がる人間の ””欲”” により構成されて行く事となります。一つの欲ならまだしも、あちらの欲とのぶつかり合い、奪い合い‥‥。まぁ結論を言ってしまえばですが、結局は現在に至るまでこの人間の ””欲”” によりそのぶつかり合いは続いています‥‥‥。
 

 そして、人間が地球上に存在しなくなるまで、絶対に無くならない物なのでしょう‥。悲しきかなそんな気がしてなりません。まぁこの辺りも違う方面の記事で表現してみよう!とも思っています。

 

丸竹夷さんの日清・日露戦争。本当に彼の動画には助けられています😄。

日清~日露戦争への流れはざっとこんな感じになります!。

 


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この時代のザックリとした流れと、一番の重要な事は何か?

 

この時代、ザックリな流れで行くと

 

一番重要な事、流れは、

 

このパートの題名にもなっている ””日清・日露戦争”” でしょう。

 

 結果的には、日本は二つの戦争に勝利し、外交的には ””アジアの列強国”” と言う称号を手にし、明治維新の最終目標の内の一つでもあった領事裁判権の撤廃と、関税自主権の回復のどちらとも成功しました。いい事づくめの様にも見えるこの二つの戦争の結果‥‥。ただ、あまりにも ”対極” 的過ぎた二つの戦争の ””戦果”” が、後の時代へと強く繋がって行くと言うところが、この単元でのポイントになるかと思います。

 

さて、こちらが日清・日露戦争の標準年表になります 

 

 日清・日露戦争とは言え、共通の戦争の原因となっているのが、日本の朝鮮半島に対する支配。その支配権を巡る争いで ”清”””露””と戦争をする事となります。

 

 先ほども書いた通り強くは触れませんが、この辺りから太平洋戦争までの、日本が近隣国にしてきた振る舞いを、少しでも良いから色々な角度から学び、目を背けたくなるような歴史を踏まえた上で、今のままで良いのか?どうしたらいいのか?などをこれからの若い方はこの辺りの ””日本の暗い歴史”” を踏まえた上での考えを、現代の政治や、情勢でも共存させてゆけば良いのではないかと個人的には思っています。

 

 日本国が行って来た ””非人道的な行いの数々”” 。さらには理不尽な政策の数々。その根底にある人を政治的に支配すると言う事のその先、そんな部分も少し引いた部分から見る事によって、 ”国は何をしてくれるのか?” 的な疑問にも、少し自分なりの解釈を出せる様な気がしました。まぁこの辺りは政治は好きだったので、今回では無く、だいぶ前に学んだ事ではあるのですけどね。学び直しをして、さらに理解が深まった気がします。

 

 ただ何時までも過去に囚われていてはいけない部分ではあるので、最も重要な事は

 

””過去を知った上の、踏まえた上での物言い‥‥!”” と言う事だと思っています。

 

こちらが歴史年表地図になります。

 

 

こちらはユーチューブの動画です。

こちらはユーチューブの制作の勉強を兼ねてやっているので完成度は低いです。
ただ形になっているだけなので申し訳ないです😫

 


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1.ノルマントン号事件からの

 どんな事件かザックリ言いますと、紀州沖の海上で、外国船籍の船が沈没しました。日本人も、外国人も同じくらいの人数(25人位ずつ)乗っていましたが、イギリス人の船長は、外国人だけを救い出し、日本人全員を救出することなく、見殺しにしてしまったと言う大変痛ましい、現代ではそれこそ国際大問題に発展してしまいそうな大事件が発生しました。

 

 さらに問題はここからでした。事件後この船長の事件に対する ””責任と罪”” を問うべく、裁判にかけられたのですが、領事裁判権の元裁判が行われ、このイギリス人船長は罪に問われること無く、無罪放免となりました‥‥‥。

 

日本の現代でも似たような事は起きていて、沖縄などで似たようなニュースを良く耳にした記憶があります。

 

 しかしこれでも事件は納まりませんでした。どうしても裁判の結果に納得のいかない、 ”国民”  が、裁判のやり直しまでおも実現し、しかも有罪を勝取ると言う所まで事態は動いたのでした。罪はさほどの物では無かったですが、民意が、世論がこれらの事を動かしたのです。

 

 最終的にこれらの事が大きなきっかけとなり、ノルマントン号事件発生後の1894年に陸奥宗光らの交渉により、イギリスとの領事裁判権は撤廃される事となりました。

 

2.日清戦争からの

 きっかけは、朝鮮半島の統治問題。それに伴い発生した日清戦争は、最終的に日本は勝利しました。そしてその勝利の先にあった物が、勝利した者への見返りとも言える、十分なだけの ””戦果”” を得る事が出来ました。当然 ””戦争”” ともなれば、兵役や、物資の不足、資材の高騰など、国外での戦争ではあったものの、少なからずとも一般的な国民生活に負担を強いられる様な事はおきました。

 しかし、その苦労を撥ね除けるだけの戦争の ”戦果” がこの日清戦争には存在したのです。

 そう、賠償金と言うなの戦果です。そして面白い事に感覚も麻痺して来ます。 国民の中には戦争は儲かり、国力を豊かにする!と言う様な幻想的思想が生まれ出して出してきたのもある意味事実かも知れません。

 

3.日露戦争からの

 日清戦争に勝利し、朝鮮半島の利権を手に入れた日本を良く思わない国がいます。

そう、あれだけの国土を所有しながなも尚、領土を欲しがる大国ロシア。ロシアは三国干渉なるロシア・ドイツ・フランスと三国で手を組み、日本が取得した遼東半島の返還を求めて来ました。当時の日本には首を横に振るだけの実力は無く、この用件は渋々了承‥‥。

 この辺りの外交や同盟も非常に大人になり学び直すと面白かったです。時の情勢や、自国の利益のためなら義理や道理は完全無視状態。昨日の敵は今日の友状態。目まぐるしく手を繋いだり、離したりの攻防は、大人に成ってからは非常に面白かったデス。でも、学生の時は、全然理解出来ませんでしたねぇ~。なんで同じ三国って言ってるのに、今回は違うんかい!!。この国とこの国仲悪かったんじゃないの??。的に(笑)。

 このロシアクリミア戦争で勝利出来ず、ロシアが最も欲しがっている ””不凍港”” 

を、地中海方面に求めるのを諦め、東の海に目を付け出しました。不凍港を手にしたいロシア朝鮮半島の利権は渡したくない日本。この2つの欲がぶつかり合い、日露戦争へと発展して行きました。

 

 当然世界的な前評判では、相手は大国ロシア。アジアの小国日本は圧倒的劣勢の前評判でした。しかし、日露戦争前に結んだ日英同盟のおかげもあり、日本はイギリスからの支援を受けて何とかロシアに辛勝する事が出来ました。

 この勝ち方も本当に辛勝であって、ロシアも自国の社会情勢の不安定化から戦争を長引かせられない事情が出来、仕方なしに講話に応じた感が実際大きかったと思います。日本とロシアの講話会議。アメリカに仲介に入って貰い、小村寿太郎の交渉の元、無事に講話が結ばれる事となりました。

 

猫ひろしさんで有名な ポーツマス条約」です。

 

 ここで日清戦争との大きな違いです。日清戦争には、戦争の勝利の後沢山の””戦果”がありました。戦争により、我慢させられた国民は、勝利することにより賠償金と言うなの報酬を貰えた‥‥。

 勿論日露戦争中も日本国民は、不便な生活を強いられていました。我慢を強いられていました。当然戦争に勝利したのだから、今回も多額の賠償金を手にし、国民に見返りとして”潤い”がやって来るのが当然の事だ!。と言う思いは、賠償金を支払わな  

”完全にゼロ”” と言う今回の異例の講話条件では、完全に泡として消えてしまいました😢。

 

 この勝者なのに ””賠償金ゼロ”” と言う事は国民にとっても大きな反発を生み出しました。まぁゼロになった背景は交渉側の色々な情勢の駆け引きや、出来ない理由が存在したのでしょうけどね。

 

4.関税自主権回復みたいな感じでは無いでしょうか?

 

 明治維新を経て、立憲国家となった日本。日清・日露戦争と二度の度重なる大国への戦争の勝利。アジアでの日本の地位は当初の思惑通り世界列強に認められ、アジアでの列強国と言う立ち位置を獲得しました。そして1911年にアメリカと日米通商航海条約を結び、立て続けに、イギリス、フランスとも関税自主権を回復する事に成功しました。

 

アジアの一等国として世界に存在を知らしめる事の出来た日本。

 

 日本はついにかねての目標であった、 ””欧米列強と肩を並べる”” と言う事に成功した瞬間でもあったのでしょうね。 

 

さて、次の章は 日本の産業革命と文化 になります。(ちょっと前回間違っていたみたいでした。ゴメンナサイ💦。)

 

欧州列強国で起こった産業革命。その技術が遥か海を渡り、急成長を遂げる日本へと入って来ました。また様々な思想や、学問、政治経済、流通、文化。

こちらの方面でも日本は ””急激な変化”” を起し、それによる恩恵と、歪み、正しく『光と影』  が大きくなる時代でもあります。

 

この先の時代その根幹に君臨する物

 

””カネ‥‥””

 

資本主義と言う思想の元に、人々はこの魔物との対峙する事でこの先歴史が動いて行きます。 

 

藩閥政治により権利や特権に群がり、好き放題の藩閥の中枢、財閥などに対し、民衆の不満や怒りが増大して行きます。どこか見たような歴史背景だと言うのは、言うまでもありませんよね。

 

何度も触れてますが、この ””光”” が大きくなるほど、眩しくなるほど、その光が当たった物の後ろ側には比例するように、大きく、漆黒の様な  ””黒い影””  が出来るのです。

これは言い切っても良い位、まぁ大人的解釈でしょうが ””綺麗事だけでは済まされない部分””  を見て見たり想像したりしてみると、この部分が大いに歴史を動かす原動力になっている事を理解できます。

何度も言ってしまいますが、こんなドロドロした部分が、大人になって触れた歴史の面白さだったのかもしれません。あくまで自分にとってですけどね(笑)。

 

 

最後まで読んで頂いた方、感謝します!。ではまたです🖐🖐🖐。