全く渋沢栄一に対して知識が無かった自分が、渋沢栄一のマンガを読んで、出て来た地名が
”血洗島”
名前の由来を調べて見たら、色々と諸説あるみたいですが、初めて聞いた時には少し
”ドキッ” ってしました。
妻沼聖天山を後に、次なる目的地は渋沢栄一記念館。2024年より、一万円紙幣の肖像として選ばれた人物。 ”渋沢栄一” の記念館になります。
施設のある場所は埼玉県深谷市。旧名称がこの辺りを血洗島と呼んだみたいです。
ブログの本題、歴史の纏めも明治時代となり、いよいよ時は、すべての物の考えや価値観、それらすべての物がそれまでの時代とは180度位変わってしまった
”明治維新”の時代。
学生時代、明治時代など、一度たりとも面白いと思った事などありませんでした😓。
でも、丸竹夷を見ても面白い、マンガを見ても面白い。本当にこの時代は面白い。
非常に ”ドロドロ” していて、人間の欲望のぶつかり合い(笑)。
丸竹夷さん。彼の動画は本当に学び直しには重宝させて貰いました。あと本もですけどね。ただ、この本はと言うと、黒船来航で終わってしまってます(笑)。恐らく続きが出版されるとは思いますが‥‥。人気が無かったら、出版されないかも知れませんね(笑)。
まぁ自分の場合理解は表面のザックリ程度ですけどね。でも、上辺の歴史の流れを少しでも理解出来たという事は、自分にとって以外にも大きなプラスになりました。本当に人生ここに来て、色々な繋がりが面白い!。その繋がりの中に渋沢栄一のマンガに出会い、今回の旅もアリ、繋がりを求めて渋沢栄一記念館を訪問する事となった‥‥。自分の場合、歴史を学び直した事により、全てにおいてプラスの方向に物事が回り始め、そして、ブログを書くと言う事が、それにより一層な相乗効果をもたらしてくれているみたいです。
本当に今更ながら、明治時代、明治維新は面白いなぁ。って事に気づけました(笑)。
自分大河ドラマ 『 青天を衝け 』 をやっていた時は、全くと言って良いほど歴史に興味がありませんでしたので、一話位しか見てません。奥さんが見ていた隣で(笑)。
出来ればきちんと見返したいと、今は思っております😓。
妻沼聖天山から記念館までは、車で30分かかりませんでした。自分熊谷市も初めてならば、モチロンネギの有名な深谷市も初めて。
有名な深谷ネギ 焼いても煮ても、甘くて美味しいですよね。
この日は生まれて初めての場所に3カ所も訪問した事になります。
ほどなくして施設到着!!。
施設の中は撮影禁止だったので、写真はこれだけになります(笑)。
名物の ”アンドロイドシブサワエイイチ”。
引用:渋沢栄一記念館公式H.P
これを見たかったのですが、観覧にはWeb予約が必要みたいで、自分、見る事が出来ませんでした。ざんねん💦😓。
今購読している渋沢栄一のマンガもあり、もう少しで最終回になってしまうみたいです。そちらも少しザンネンですね😓。
日本を創った男 渋沢栄一
施設とマンガでの知識のみの素人の感想ですが、全く知らなかった人物ですが、学んでみるとなるほど、 本当に ”規格外” レベル、まさにレベチの人物だったって事を知る事が出来ました。
正に、現代で言う経済界の大谷翔平レベル位でしょうか?知らんけど(笑)。
当時の、現代でもですが、名だたる会社のほぼ全てにと言い切っても良い位、何だかの影響を持っていたのですね。現代の人物に例えると、経済界では 誰? 位の人物になるのでしょうね??‥‥。 思い当たる人物が、瞬時には浮かんできません‥‥。
本当に凄い人だったんですね。お札にもなる訳ですよ😯。
でもでも、これらの事は、 ”英雄視” 的に彼の事を書いたり、展示したりと、きっと日向の部分だけをピックアップされているのだと思います。
ここはあくまで素人の感想と意見です。これだけ影響を持ち、これだけの光が当たる人物‥‥。光が強ければ、当然それに比例して大きな黒い影が出来ると思います。
なので、英雄視的な語り口だけでなく、公平に判断する意味合いも兼ねて、この ”影” の部分もきちんと学んでみたいと思ったのは事実であります。
まぁ時間が無いので、後で深堀ノートに書いておきます。ので、真相は分からないので、渋沢栄一は今の所 ”凄い人” で!!。 何か最後はテキトーな纏めになってしまいましたが(笑)。
渋沢栄一記念館辺りでお昼の時間を回り、お腹も空いて来たのでいざ最後の目的地
”佐野ラーメン🍜”
を食べに、佐野に向かいます!!。続きは次回と言う事で!。
最後まで読んで頂いた方、感謝します!。ではまたです🖐🖐🖐。