okite910nete1820’s blog

歴史が嫌いだった自分が学び直して、簡単な歴史の地図を作ってみます。

『一人でぷらっと旅の計画だったプラン』 ようやく実現😄。 第3話(最終話)/全3話

 

 高崎パスタを堪能し、次なる目的地に向かい高速道路に向かいます!!。次なるは今回の旅の最終目的地。高速道路を走り、音楽を聴きながら、しばし目的地までドライブです。

 

 これまで訪問した場所の記事になります。

 

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 目的地付近に到着。少しだけ迷いましたが付近のコインパーキングに車を停め、いざ今回のお出かけ最後の目的地に歩いて向かいました。(場所のネタバレ含みます)

 

 今回最後に訪れた場所は ”” 足利学校 ”” になります。

 

史跡足利学校 | 足利市 公式ホームページ (city.ashikaga.tochigi.jp)

www.city.ashikaga.tochigi.jp

 

 同じ県内にありながらまだ一度も訪問したこと無い場所。今回は歴史の学び直しをした際に1回は行って見たいなぁと思い最後の訪問場所として訪れました。

 

 施設の概要としては、下野の国足利に、平安時代初期、もしくは鎌倉時代に創設されたと伝えられる中世の高等教育機関。室町時代から戦国時代にかけても、関東地方における事実上、 ””最高学府”” と言われた施設です。全国から優秀な人材が学びを得に集まって来たみたいです。

 

 現存して来た建物では無く、付近を発掘し、資料を基に再建された建物になるみたいです。

 

 また、実際は分からない事も沢山あり、 『 諸説あり 』 となる部分も多く有るみたいですね‥‥。

 

 そんな足利学校。灯台下暗しと全くの無関心で、人生において、県内在住にもかかわらず、訪問対象に一度も上がらなかった場所なのですが、例の歴史の学び直しの関係と地元県にあると言う相乗効果で突然の訪問したい施設の対象になる事に。そして、今回の訪問となりました。

 

 まず、チケットを購入。大人一人¥420円。 ”” 入学許可証 ”” なるチケットを購入、足利学校の学生となり、中に入ると言う設定になっております。

 

入学許可証を手に中に入ります

 孔子の教えである ””儒教”” が盛んであった当施設。江戸時代の戦が無くなり 

”” 朱子学 ”” 的思想が学問の中心となって来ると足利学校は徐々に衰退していまいましたが、それまでは日本の最高学府として学びの場を提供してきました。

 

 入り口の門を潜るとそこには "" 孔子廟 ”” なる孔子を祀る建物が。

 

孔子廟

 

 

 

中には孔子の像が祀られていました  

 1500年頃に奉納され、施設を見守って来た見たいです。

 

 歴史的な深い知識が無い自分に取って、見る物全てが新しい発見や学び、『ナルホド』が沢山です。

 

 

 

 孔子廟を後に、足利学校の校舎へと向かいます。昔の資料を基に発掘され、再現され、再建された施設。当初のままの建物では無いですが、 ”” 当時の赴き ”” を感じる事は出来ました。

 

広大な日本庭園、立派な茅葺き屋根の校舎

 

 混雑もあまりしていなかったので、ゆっくりと散策する事が出来ました。全国から多くの優秀な人材が集まり、学びを深めたンですね‥‥。遠くは沖縄から遙々来ていた生徒も居たみたいですね‥‥。飛行機などの無い時代に‥‥。本当に凄い事です。

 

立派な茅葺き屋根の軒先、縁側どんな学生生活を送ったのですかね?

 

 建物の中も見学出来るので、そちらにも行って見たいと思います。

 



こちらが玄関になります

 

 

 写真を撮っていませんでしたが、玄関先には ””宥座の器””(ゆうざのき) なる器が展示されていました。この器、空中に両端からロープで吊るされたカラッポの傾いた器があり、そこに水を徐々に入れて行くのですが、ある場所まではバランスを取りながら水は零れずに器の中にとどまるのですが、それ以上に水を注ぎ入れると、バランスを崩し中の水が全部零れてしまう‥‥。

 

 

 

引用:壬生町立歴史民俗資料館

 

 

 

 元々、中学生の頃から ””人生とは何か??”” などと不意に考えてしまう様な ””変人”” なので、オッサンになった今は幸せの意味などを含め尚の事考える様になりました。

 

 でも、自分の中に凛とある答えはずっと若い頃から変わっていません。そして、歴史の学び直しをしている今、その答え合わせは ””確信”” へと変わりつつあります。どんな答えかと言う事はまぁ今回は深くは触れずにいましょうか‥‥。

 

 物事万事、全てにこの ””バランス”” を崩した時に、何事も上手くいかなくなってしまう‥‥。でも、そのバランスのとり方が一番難しい‥‥。水がバンバン入って来る時には人間誰しもがバランスのとり方を忘れてしまう‥‥。平家物語の冒頭の言葉、””盛者必衰””事を思い出したり、最近の巷を騒がすニュースを思い出したり、ひっくり返る器を見ながら、薄っすらと色々な事を考えてしまいました。

 

玄関を入り、天井を見上げて見ます

 

 

 立派な丸太の梁や桁。玄関には過去にも使われていた看板なども。

 

 

 

 

 孔子・孟子・曾子の木像

歴史が苦手な自分でも聞いた事のある人物です

 

 

 

一体どんな生徒達が、どんな感じで授業を受けたのですかね?

 

当時の付近の図面(レプリカ)

 

 中には色々な資料が展示されていました。

 

衆寮(学生寮)

 外には衆寮なる学生寮の様な施設も。当時は通学と言うより、寮に住み込み学校へ通った見たいですね。どれだけ志が高かったのでしょう‥‥。自分には全く無かった部分なので、何とも想像は出来ませんが、””学ぶ事”” が出来る事自体が、最高の事だったのでしょうね‥。

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 足利学校を後に少し気になった施設を訪問しようと思いました。この足利学校に来る前に、少し道に迷い、周辺をグルリとしたのですが、その時大きな門がありました。最初はそちらが足利学校だと思ったのですが、そこはまた別のお寺の様でしたので、ここまで来たので折角なので、そのお寺も訪問してみる事に。

 

 近くのコインパーキングから歩いて来たので、少し小町風な路地を歩きます。

 

本当に人が少ないですよね‥‥自分の写真

 

 道の途中に足利尊(高)氏公の銅像が建っていました。

 

足利尊氏公の銅像・概要

 

 

 室町時代の前、南北朝の時代の主役、清和源氏の血を引く ””足利尊氏”” 。後醍醐天皇から ””尊”” と言う字を貰い、 ””尊氏”” となった。(まぁネコネコ日本史で読んだんですけどね😑)そんな事すら以前の自分だったら知りませんでしたが、本当にザックリとした学び直しでもこんな事が理解出来るようになり、こんな物が楽しく見えるようになりました😅。

 小町風の路地の先にあったのが ””鑁阿寺”” になります。

 

国宝 ””鑁阿寺””

国宝 鑁阿寺 (ashikaga-bannaji.org)

www.ashikaga-bannaji.org

 

 

鑁阿寺パンフ

 

 鎌倉時代に創建された足利氏の氏寺になる見たいです。自分全く知りませんで、ここも初めて訪れました‥‥‥‥‥、意外や意外、とても凄い場所でした‥‥。本当に無知な者でお恥ずかしい‥‥。

 ”” 室町時代 ”” がガッツリここにはありました。足利氏全盛の室町時代。今思えば、栃木出身の人物が、国の中枢の場所に居た時代があったのだなぁと感心した時も学び直しをして気付いた事。

 

 そんな足利氏の歴史が沢山ありました。

 

手水舎

 

 

 

多宝塔



本堂

 

 本堂の近くに ””一切経堂”” なる建物がありました。立て札には室町時代の歴代将軍の座像が展示してあると書かれています。特別公開で。(有料)ですが。

 

一切経堂

 

 京都・知恩院に次ぐ非常に大きな経堂で、これだけ巨大な建物も珍しいみたいです。入堂料は¥300円。勿論今の自分に ””入らない”” と言う選択肢は存在しません。料金を支払い経堂内に‥‥。建物内部は撮影禁止‥。

 

 経堂内には中心に巨大な八角形の綸蔵(経棚)がありました。屋根まで軸が伸びており、押すとその巨大な綸蔵がクルクル回る様になっていました。そして、外壁に面した壁側に、順番に初代から並べられた足利将軍の座像が置かれていました。

 

 初代尊氏公~第15第義昭まで。それぞれに時代背景やその人物が行った事などの説明書きが添えられていました。順番に見ていく自分。そのほとんど全ての名前が分かる。漫画でしか学んで来ていませんが、それでも地味にですが感動してしまいました。

 

 思いがけなく立ち寄った ””鑁阿寺”” 。最高でした!。

 

 さて、鑁阿寺を後にします。

 

今度は奥さんと子供を連れて来てあげたいですね‥‥

 

 本来ならばここで去年立案段階だった 『 一人でぷらっと旅の計画 』 は

”” コンプリート! ”” となるわけですが、実はその後の東京国際フォーラムの ””相田みつお美術館”” 訪問で、新たな希望する訪問地がここ足利に加わる事になったのです。

 

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 ここ足利。最近気になる書家の ””相田みつお”” 氏の出身地でもあるのです。そんな相田さんの足蹴く通った食事屋さんがこの近くにある‥‥。

 そんな情報を相田みつお美術館で入手したので、折角なので是非是非、立ち寄りたかったのです。



 お店の名前は ””めん割烹なか川”” 

 

 

めん割烹 なか川 | 栃木県・足利市 | 伝統の二八そばと十割を相田みつをの作品と共に味わう (soba.info)

soba.info

 

 場所は足利学校から鑁阿寺に抜ける小町通り的な場所にあり、分かり易かったです。相田さんのモチーフの看板も特徴的なので直ぐ分かりました。

めん割烹 なか川

 

 凄く微妙な時間帯でも営業していたのは凄く有り難かったのですが、少し問題もありまして、お腹の方も ””非常に微妙‥‥‥😓”” 。ここに来るまでにホルモン揚げを6本食べ、さらに高崎パスタも食べ、結構歩いたとは言えまだ夕食にはちと早い微妙な時間‥‥。

 

 正直本当に迷いました‥‥。THE BOOMの唄の様に 

 

 『 帰ろうかなぁ?止めようかなぁ? 』

 

 と言う風に‥‥。


 でもそんなにもしょっちゅうは来ないと思い、やはり食べる事を決意!!。早めの夕食とし、『 今日の夕食はこれでいいや! 』 と言う気持ちで、お店に入りました。

 

店内には至る所に相田さんのフォントの物が‥

 

相田氏がお店の開店祝いに送った ””水”” と言う文字


 相田氏が開店祝いにお店にプレゼントした物みたいです。蕎麦は水が命。なので水と言う字を送った見たいですね。

 

 数名しかお客さんがいなかったので、辺りをキョロキョロしている内に料理が到着しました。

 

舞茸蕎麦御膳

 おてもとのフォントも ”相田みつお風” なのですね😊。軽めのメニューの存在が無く、重めのメニューとなりましたが、まぁこれも思い出。一日の内に、フライと天婦羅と言う、二大揚げ物を制覇すると言う暴挙を達成する事になってしまいましたが、頑張って完食しました😓!。本日は完全に食べ過ぎですね‥‥😓。まぁ早めの晩ご飯と言う事で。

 

 お蕎麦の感想ですが、地元そば粉を使った添加物無しの蕎麦。二八蕎麦と十割蕎麦を注文したので2つの蕎麦を楽しめました。蕎麦の味は ””昔食べた田舎の味の蕎麦”” で自分には凄く懐かしい味。繋ぎを使わない太くて蕎麦の香りが本当に強い蕎麦でした。

 

 つるつるとした食感よりは、水持ちが悪いので少しポソポソした食感になるかも知れませんが、自分が昔近所のお婆ちゃんなどが打ってくれた様な懐かしい味と香りがして、個人的には好きな蕎麦でした。まぁ繋ぎが多い現代風のそばとは少し違うので、好みが分かれてしまうかも知れないです。

 

 『 ごちそう様でした😋 』

 

 お支払いをするときに、人がいなかったので店員さんと少しお話。すると、普段はお店には飾っていない相田さんの作品を、お正月の期間だから飾ってあるので是非見ていったらどうですか?との事。

 

 お言葉に甘えさせて貰い、さらには写真もどうぞとの事。

 

 遠慮無く取らせて貰いました🤣。

 

 相田さんの代表作 

 

人間だもの 作:相田みつお


 お店の照明が映り込んでしまいましたが、紛れも無く相田さんの本物の作品。写真に収める事が出来ました😁。大大満足です。店員さんありがとう!!。

 

 お礼を言いお店を後にしました。

 

 さて、去年の夏に計画を立てたこのお出かけ。以上でコンプリートになります。同県にありながらや、近県にありながら、恥ずかしながらこの年まで全くの興味も湧かなかったこれら訪問して来た施設の数々。学び直しの繋がりで、そんな場所が自分には面白く映る様になったみたいです。

 

 まぁ良い事か悪い事かは分かりませんが、しばしの間はこんな事を楽しみに、日々の生活を頑張って行こうかな?。 と思いました。

 

 さて、次は何処に行きましょうかね?。

 

 最後に一つだけ。自分無知過ぎて ””鑁阿寺”” の事を知らなかったのですが、どちらかと言うと格式的には

 

 『 ””鑁阿寺”” を目的にその足で ””足利学校”” に足を運ぶ。 』

 

 が正解だった気がしました😅。無知な者でスイマセン‥‥。でも本当に良い場所でした。今度は奥さんや子供たちを連れて来てあげよう!.

 

最後まで読んで頂いた方、感謝します!。ではまたです🖐🖐🖐。