男A ↑
「これは馬よのぉ?」
周りの人(家来や重臣)
”ざわざわ”
男A
「馬よのう⤴??」
周りの人(家来や重臣)
「はい、いかにも,馬にございます!」
「鹿を指して馬となす」
これは中学生の頃漫画で読んだ本宮ひろ志さんの歴史漫画”赤龍王”での一コマ。秦の宦官趙高が言った言葉。読んでいた当時はさほど意味の深さや、事の全容を理解できてなかったのだろうが、大人になり、様々なものを見てくると、色々な事が理解でき、権力とは何か?権力を持ったものの歩み方などが解り実に面白いと感じた。現に仕事上もリアル趙高は現代も多数存在し自分史の中で数多く出会い、その中で鹿が馬ぐらいならいいが、牛にだって、ワニになったりもしてきた。
あるひとB ↑
「これはワニだよねぇ」
現代の俺
どう見たって鹿じゃねーかよ……😒「はい。ワニにございます。」
”くぅー、家族を守るためには仕方ないんです。くそぉ正論を押し通す権力が自分にあれば😖俺が趙高になれるのにぃ!”
無理を通して道理を引っ込ますぐらいならまだ議論の余地ぐらいはあるのだろうが一方的な鶴の一声。現状の自分の力ではどうにもできない。また一つ自分に嘘をついてしまう。何回嘘をついてきたか数えきれない。世の中の大半の人はそうなのかもしれない。言いたいド正論を100%言える、そんな大人は世の中に何パーセントいるのだろう?
こんな現実社会とのリンクも歴史を少し学び少し視野が広がった気がする。本当にまだまだちょびっとだが。現に最近読んだ平家物語。もちろん横山光輝さんの漫画ですけどw。高校時代の時は古典など眠くて眠くて仕方なかったけど(ほぼ寝てましたw)、大人になり読んでみると色々な部分が本当に面白い。逆に高校生の頃に歴史や古典の面白さを理解している学生は本当に精神年齢が高いか、頭がとてもいい人なんだと非常に感心させられる。
大人の世界はありとあらゆる事のすり合わせ。
すり合わせて、すり合わせて、さらにすり合わせて、お互いの妥協点を探し出し、譲り合い、妥協しあい、譲歩しあい、ギリギリの着陸地点を見つけて着陸させる。ネゴシエイトの基本であり、最終形態なのではないかと思っている。
強大な権力や力には到底立ち向かうことは出来ないし、非常に困難なだと思う。
もうこの年まで来ると
”柳に雪折れなし”精神で全てを上手にゆらゆらゆらゆら受け流しある意味逃げかもしれないがそんなたちまわりを多くしてしまっている。いわば保身的な。
ガチンコ正面から100パ~受け止めていたら身が正直持ちませんW
斜め68°位でいつも受け止めてます。止まらずに流れてくほうが多い角度かもしれませんが🤭年とともに角度がきつくなってるので流れてくほうが多くはなってると思います、はいW。
自分ではこれからも”柳に雪折れなし”精神で権力と上手に付き合いながら頑張らねばならないと思ってます。
ここまでつまらぬ話を読んでいただいた方、感謝しますm(__)m。
ではまた🤚