okite910nete1820’s blog

歴史が嫌いだった自分が学び直して、簡単な歴史の地図を作ってみます。

若い時から落語とか、寄席がちょっと好きでした。

自分は遠方の大学に進学したので、学生時代の交通手段としてよく飛行機を利用していました。

 

自分たちの学生時代、SKYメイトって言う制度があって、予約は出来無いものの、出発便に空きがある状態であれば片道10,000円位で飛行機に乗れる制度があり、学生時代にはかなりお世話になった制度でもありました。

 

現在はこの制度まだあるのでしょうかね??年齢制限があって、22.23歳位が上限だった気がします。

 

当時よく利用していたのが、ANA。というか、自分はANAフリークだったので、ほぼANAしか利用しませんでした。

 

ANAと言えばこの曲!!。って言う内容の記事になります。

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タローさんのアナザースカイ。イイですよね😊😊。何か聴いただけで旅した気分になりますよねぇー。

 

そんな自分が機内で聴いていたのが往路も復路も決まって全日空寄席でした。

          

全日空寄席での話では無いのですが、噺家さんのこんな小話があります。

 

師匠と弟子のやりとりの中の一コマ。

 

師匠

👴「おい、お前なぁ、世の中ってぇのはなぁ、思い通りになると思ったら大間違いだぞ!!決して思い通りになんかならねぇんだから、思い通りになるなんて甘い考えじゃ後で痛い目見るから、そのつもりでいろよ!!

 

弟子

👦「えぇー、イヤァ師匠、私は絶対に思い通りになると思っていますけどねぇ!!」

 

師匠

👴だからぁ、ならねーって言ってんだろうがぁ。そんなに世の中甘くないんだよぉ!!」

 

弟子

👦「えぇー、じゃあ師匠は世の中思い通りにならないって思ってるんですか??」

 

師匠

👴「だからぁ、あたりめーじゃねぇかぁ。世の中思い通りになんかなったら、てぇーヘンなこった!!世の中思い通りになんかならねえよ!!勿論そう思ってるよ!」

 

弟子

👦「えぇー、じゃあ思い通りにならないっていう、思い通りになってるんじゃないですか!!!。」

 

師匠

👴「うーん。それもそうだなぁw」

 

もうこんな、いかにも噺家の言葉の遊び。こんなニュアンスのお話が自分は大好きです。

 

まぁ落語や寄席が好きだと言っても、チケットを買って噺を聞きに行くまででもなく、たまにそんな場面に出くわしたときに聞いたりする程度の好きなんですけどねw。

 

でもこの噺家さんの話、色々な意味で考えさせられる事が多くあります。

 

一つ目は話を聞いているその時です。

 

意外に聞き手側も言い回しや、表現なんかに結構な雑学とか、些細な豆知識がないと面白味が味わえない部分が多くある気がします。まぁ考えながら笑いと結びつけるみたいな感じなんでしょうかね?

 

いちいち、今のは何がおかしかったの??とか今のはどんな意味なの?とか話のツボや落ちの説明をしながら聞くのではあまり面白味に欠けるのではないでしょうか?。奥さんは沢山読書をしているはずなのに、あまり瞬時には目から鼻に抜けないタイプ。雑学もあまり好きではないので、あまり落語なんかも好きでは無いみたいです。

 

もう一つ考えさせられるのは話の表現方法。

 

これも表現方法での言い回し方とかと被るのですが、少しこの業界、表現の仕方にいささか現代の時代に大きく反したミスマッチするようになって来た部分が、多く見受けられるお話や、表現が多くあると思います。

 

うーん、まぁ話が出来たそもそもの時代が違う作品もあり、比喩や揶揄の方法が時代を感じるような話題や、それを売りにしている噺家さんなんかもいらっしゃいます。毒舌の噺家さんとかですね。

 

まぁ現代で言うコンプライアンス的に問題になってしまうような笑いの表現ですね。

 

ここ最近この手の表現方法が難しくなって来てますよねぇ。一昔前までは許された表現方法でも、現代では批判の的になるような表現方法。

 

まぁ肯定するわけではないですが、全て一括りにしてしまうのでは無く、この部分やはり聞き手側の解釈や、噛み砕き方の向上も重要なんじゃ無いかと思っています。

 

全てを規制してしまう、発信された言葉100%をそのまま100%として受け止めてしまう。

 

それこそ、表現の自由すら無くなってしまうのでは無いでしょうか?

 

本当に最近はこの部分に大きな窮屈さを感じてしまいます。やはり、自分、頭の中の考えを上手に文章にするのが苦手なので、上手に表現出来ないのですが、上記のような事が起こるのは、受取手側のキャパシティーや、ゆとりや、余裕、後ろに隠れている真意を読み解く力、の問題もあるのではないのかなぁーっても思います。

 

ここで言っておきたいのは決して誹謗や中傷の話を肯定する事を言ってるのではありません。人がやっている事に対していちいちそんな事する輩は論外だと思います。他人を攻撃したり、誹謗することは、それは表現とは言わないです。表現とはあくまで自分の意見。

 

あまり好きでは無いですが、彼の ”節”が思い出されます。

 

それ貴方の意見ですよね??って言うこと。

 

ただ、平等や、公平、他を認めよう、個性を認めよう多様性を認めよう的な風潮があるのであれば、人の表現も、その個性の、多様性の内の一つでは無いのでしょうか?世の中十人十色。人によっては抽象の仕方や、物事の受け取り方もきっと違うはずです。一つの物事を、不快と思う人もいれば、心地良いと思う人もいる。それが言葉となったり、文章となり、芸術となったするのが個性の表現の自由ではないのでしょうか?それを封じ込めるという行為がかえって不平等ではないでしょうか?

 

マイノリティー側の意見を、マジョリティー側が、数の力で封じ込める。

 

同調圧力にによる、少数派意見の弾圧。

 

まぁここに、多数決や、民主主義の少しおかしな所も関係あると思いますけどね。

 

一方的に片側の主張を取り上げ、違う意見に耳も傾けず蓋をするような風潮が見られる。

まぁそこでの表現が、受取手によっては、人を傷つけるような物が含まれている可能性があるから問題になるのでしょうかね?

 

本当に難しいですよね。その辺のバランス加減が。だからこそ、ザワつかれそうな表現はアウトな感じになってしまうのですかね?そもそもこんな自分には結局結論なんかは出せない問題なんでしょうね。

 

こんな時代の中で、噺家の人たちも、きっと大変なんだろうなぁって素人ながらに思ってしまいます。まぁそんな世の中の逆風チックな物にも負けないで、自分のスタイルを、芸の道を貫き通して欲しいものです。

 

今日も最後まで読んで頂いた方、感謝します!。ではまた🖐🖐🖐。