okite910nete1820’s blog

歴史が嫌いだった自分が学び直して、簡単な歴史の地図を作ってみます。

歴史をスポーツに例えて見ると?

歴史の学びを初めてまだ数ヶ月しかたってないが自分の中での考えが少し見えてきた。

もし、歴史をスポーツで例えたら皆さんは何のスポーツだと思うだろうか。

 

まぁ例えて何になんの?って言われればそれまでであるがw。

 

自分も車で信号待ちをしているときにふと”イマジン”してみた。

 

うーん、武道では無いから球技っぽいかな?

 

サッカー?バスケ?野球?クリケットラクロス?ポロ?

 

うーん?

 

あぁ♡

 

と思いついたのが”永遠にトライの無いラグビー

 

あるときより権力と、金と、利権、と言うなの巨大なボール。

それを持った一人の人間がひた走り続ける。しかし終わりが、トライをするゴールが無いのだ。

周りからはそのボールを奪おうとあの手この手でタックルをしたり、足を掛けたり様々な手を使いボールをうばおうとする。持って逃げる人間もあのてこの手で振り払い、なんとか逃げ切ろうととにかく全力で、死にものぐるいで逃げ回る。

また周りからボールを奪いそうなやつが消えたとたんに、独走態勢になるとここぞとばかりに既に超巨大な持って歩くにも大変なボールなのに、それをさらにデカくしようとしだす。必死にさらにデカくデカくしようとする。

そして引きずって歩くのも大変なボールをまた奪おうとする者が現れるとまた必死になって走り始め、逃げ切ろうとする。ゴールも無いのに。

 

人はどんだけ走り続ける事が出来るだろうか?莫大な物を抱えて走り続けるにはそれこそ莫大なカロリーも必要とする。車だって小さな車よりも大きな車の方が遙かに燃料を消費する。

 

絶対に「ここ重要」絶対に走り続ける事は出来ないのだ。

 

ましてや生身の人間、走るのに疲れてしまったり、寿命が来たり、食料が底をつきたり、ルールーが変わったり、社会情勢が変わったり、価値観が変わったり、時代が変わったり、新しい技術や道具を使い追掛けてくるやつなど理由は様々であるが絶対に走り続ける事は不可能なのである。これだけはこんな素人でも言い切ることが出来る。

 

”絶対にだ!”

 

じゃあどうするか?

当然パスをする。家族や仲間や親戚や息の掛かった方達にパスしたいよね自分なら?

 

実に面白いのがこのパスの時に様々な事が起きて来るのだ。どんなにガチガチに守りを固めた高い塀を建てても、塀の内側から鍵を開けるやつがいる。パスボールがバウンドしあらぬ方向にイレギュラーバウンドし、漁夫の利的にボールをもらうやつ。パスしたやつが仲間のユニホームを着た敵であったり、突然そのボールが木っ端みじんに分裂したり、大きなボールの中身が既に生ゴミになっていたり、とにかくすんなりこのボールを受け渡す事が非常に難しいらしい。でもこのパス回しの部分が非常に面白い。

 

自分は歴史ってものがこんな風にも見えてきた。

 

何で人は皆このボールをデカくしたがるのだろうか?

自分に必要なだけのボールの大きさがあれば良いのでは無いだろうか?

なんでもっともっとになるのだろう?

底はないのだろうか?

 

本当に色んな事を思ってしまう。

 

まぁ自分がその立場になってたらこれは間違いなく言える!

 

”自分は歴史に令和時代の暴君として後世に名を残すことが出来るであろう人物であることをW”

 

右折待ちの対向車のオバチャンにパッシングをし、道を譲ってあげ家路へとついた。

 

現在進行形でこのデカいボールを追掛け回っている方。

本当にご苦労様です。