okite910nete1820’s blog

歴史が嫌いだった自分が学び直して、簡単な歴史の地図を作ってみます。

室町幕府の政治【9/30】

 

〇歴史年表地図【9/30】

 

今日は当ブログの本題、作成中の年表地図の9ページ目

 

室町幕府の政治

 

になります。

あくまで歴史初心者的な目線で見ていきますのでご了承ください。

内容途中に誤字や間違いなども,きっと見落としや勘違いなどもあるかもしれませんが、自家用として作成しているので、その辺はご勘弁。

 

この時代のザックリとした流れと、一番の重要な事は何か?

 

この時代、ザックリな流れで行くと

 

一番重要な流れはズバリ、

 

建武の新政 ”朝廷分裂” ”南北統一” 応仁・文明の乱” でしょう。

 

北条家に仕えていた武将、足利高氏。彼が実質的に北条家を裏切り、後醍醐天皇の命のの元、元寇から、徳政令で弱っていた鎌倉幕府を滅ぼす事となりました。こうして源頼朝が建てた鎌倉幕府は滅びる事となりました。この後朝廷が行おうとした政治は、血を流し尽力を尽くして鎌倉幕府を滅ぼす事に貢献した武士たちにとっては、決して優しい政治ではありませんでした。

 

今購読中の週刊少年ジャンプで、この時代の物語のマンガをやってるんですよね。この年で恥ずかしながら、現役購読者😅。

 

北条時行の生涯を描いた漫画になりますね。作者はあの暗殺教室を書いた松井優征さん。

暗殺教室HD壁紙無料ダウンロード | Wallpaperbetter

暗殺教室

逃げ上手の若君

 

『逃げ上手の若君』|集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト

引用:ジャンプ公式サイト

 

毎週楽しみに読んでおります🙂。

 

さて、こちらが室町時代の政治の標準年表になります 

この時代の年表、年表の中盤までは政治的な駆け引きや、内政的な争いが多く、中盤の応仁・文明の乱以降は、後の戦国時代の入り口とも言える位に、各地で、色々なタイプの、今までの時代では見られなかった身分の違いや、色々な場所で争いが絶えなくなって行きます。

時代が徐々にグローバル化して行き、個人と言うよりは、小さなコミュニティー同士の複雑な争いや、身分の低かった物たちが、民意という物を主張するようになり、上からの絶対服従を撥ね除けるような動きも、活発になって来る時代でもあります。

宗教が絡んだり、家督争いが絡んだり。一昔前見たいに戦争の大義すら簡単に説明出来なくなって来てしまうようになりました。

 

こちらが歴史年表地図になります。

 

この室町時代の年表地図は結構自分の中でも”バランス的に上手く納まった”的に満足の行く出来で、お気に入りになります😁。

 

1.ゴダイゴ天皇による建武の新政からの

 

足利高氏と手を組み、鎌倉幕府を滅ぼす事に成功した後醍醐天皇。名前のゴツさだけが一人歩きし、実際に何をした天皇かは知りませんでした。彼の功績とワイルドな部分はさらにやばい日本史で学ぶ事となります。

 

 

天皇らしからぬスギちゃんみたいにワイルドな行動。欲望、野望、野心むき出しの性格。

 

共に鎌倉幕府を滅ぼした足利高氏に論功賞として与えたのは自分の名前に元使っていた

 

”尊”と言う文字のみ。(実際はもっとあったでしょうがあえて誇張してます)

 

天皇を代り番こに出されたり、鎌倉幕府なる訳の分からない勢力に権力を2分させられていて、フラストレーションMAXの状態で政治をスタートさせます。

そして、歴史ではお馴染みの流れ、野望むき出しの後醍醐天皇は暴走を始めます。これまで朝廷と共に戦い、血を流し貢献してきた武士たちに、元のALSOKやSECOMのような政治に口出ししない、ただの警備会社に戻れとの命。朝廷の番犬的存在へと相成りました。

その上、建武の新政と言う名の、平安時代に貴族たちが栄華を極めた時代の様な、公家や、貴族たちがうまい汁を吸えるような取り決めを、バカスカ作り出しました。

 

2.足利尊氏との仲違いによる朝廷の分裂からの

 

この足利尊氏、一度、鎌倉幕府を裏切り、次に後醍醐天皇を裏切り、最終的に兄弟まで裏切る形になるような、結構な裏切り人生を送ってきたみたいです。

建武の新政に嫌気がさしている武士たちを取り込み、尊氏は後醍醐天皇を裏切り、京都に自ら新しい天皇と共に、新しい朝廷を設立。三種の神器を持って吉野に逃げた後醍醐天皇はそのまま吉野に南朝なる物を設立しました。

 

天皇足利尊氏+偽物の三種の神器 

             VS 後醍醐天皇+本物の三種の神器

                      この時代三種の神器は真の朝廷の証。

 

お好み焼きや、たこ焼き屋さんとかの ”元祖” と ”本家” 争いみたいな物ですね。

 

この以外に分かり難い(自分が解らなかっただけかもしれませんが)室町時代の権力闘争や流れが、非常にコンパクトに収められてたのがドグマ君の日本史アニメ、室町時代(主さんからも布教の公認受けてます!)

本当にこの動画で、学生時代理解出来なかった室町時代の流れや概要が、秒で理解出来ました。本当に応仁の乱なんかは、秒で理解出来ましたw。

 


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3.足利義満による南北朝統一からの

 

足利家3代目。良く、三代目の器量でその後の一族の明暗が決まると言われる重要な部分でもありますが、その3代目です。足利家はここが良かったんでしょうね。って言うかここがピークと言っても良いかもですね。

 

政治的や、財政的に室町幕府を安定化させ、何より一番の功績は、南北朝を統一し、北朝側に統一したことでしょうか?

 

このやり方も実に巧妙かつ、したたかだったんですね。

 

鎌倉時代末期に、天皇家家督は、2つに分派した派閥から代り番こに天皇になるような順番制を行いましたよね?(この天皇家の分派の行く末も後で、深掘りをしてみたい事のうちの一つになってます。)

 

それの復活を義満は南朝側に持ちかけ、南朝側もそれを受け入れ、晴れて南北朝統一となった訳ですが、その時義満は最初は北朝側が天皇の番で、次は南朝の番ねって言いました。

 

しかし、その後も義満は南朝側に天皇の跡継ぎを選出することはしませんでした‥‥。

 

嘘つきですよね😦。  ほんっとに嘘つきですよねぇ‥‥‥。現代にも通ずる物があると思いませんか?

 

やはり、政治を司る者。この位の事は朝飯前にこなさないと、皮肉にも一流とは言え無いんでしょうね。

 

4.室町幕府誕生&最盛期からの

 

義満の代、室町幕府は絶頂期を迎えることとなりました。明と貿易を行い、莫大な利益を上げ、室町幕府の財政を大きく上向かせました。

それがあの栄華の極みの金閣寺を建造する事となりました。

 

金閣寺 イラスト 簡単 , Free Transparent Clipart - ClipartKey

 

ここで室町幕府山の頂上に到達することとなります。

 

さぁここからは歴史ではお決まりの盛者必衰のターンの始まりになります🎉。

 

ここからの跡継ぎにいささか問題が大ありだったようで、中でも跡継ぎがなかなか決まらずに、最終的にくじ引きで家督を選び、選ばれた者が、

 

「自分は神に選ばれし者😎。何をやっても ALL OK !!🤪。」 By YOSHINORI

 

的な事を言い出し、傍若無人ヤバい政治を行い挙げ句に暗殺されてしまう様な、マジでサイコパスの様な将軍まで現れる始末。

 

足利家は義満以降、本当に跡継ぎ問題に悩まされる事となりました。

 

現代社会でも跡継ぎ問題は重要ですもんね。一歩舵取りを誤れば、何処かの家具屋さん見たいに、大手の電気屋さんに吸収されてしまうみたいな事が、平気で起きてしまうんですもんね😨😨。

 

5.応仁・文明の乱からの

決定的な出来事は、8代目当主、足利義政の時に起きます。

 

元々政治的センスよりも、芸術的センスが強めだった義政。

 

でも、これって仕方無いですよね。親が、超スーパースターな野球選手の2世が、凡フライをバンザイするほど野球センスが無くプレイヤー生活を送る。

 

本当に親が出来たからって、世襲だけでスキルは継続出来ないですもんねぇ。鳶が鷹の場合もあるだろうし、カエルはカエルの場合もあるだろうし、鷹が鳶の場合もあるだろうし。

 

そんな中、家督争いや、裏方の覇権争い、派閥争い、跡継ぎ問題、お家騒動。

 

大義の片鱗すら見当たらない、それぞれのワガママだけがハイブリッド化した日本最大級の内乱が起こることとなってしまいます。

 

「応仁・文明の乱」

 

昔は応仁だけで習った、うっすらとした記憶はあります。

 

名前は有名ですが、以外に起きた原因や、結果について、キチンと説明出来る大人がどれくらいいるでしょうか?自慢ではありませんが、自分は全く知りませんでした😅😅。日野富子すら知りませんでしたもん😅。

 


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細かい部分は丸竹夷さんの動画で学びます。本当に分かりやすく深堀している動画なので、現在進行形でとても重宝させていただいています!。日本史好きな人は一度目を通されて見てはいかがでしょう?

 

日野で知ってるのは、トラックくらいでしたね。

 

結局、蓋を開ければ、あまりにも大義名分の無い、全体が己の私欲のみで始まった戦。11年も続く泥仕合となり、戦の終わり方も”モヤッ”とする物となり、結果、この戦が、室町幕府の衰退を決定付けてしまう事となる訳です。

 

ここが江戸時代の徳川家康と違うところでは無かったのではないでしょうか。後半の室町幕府は現代の会社で例えると、統制の取れていない大企業。

横暴なふるまいをする社員や、会社に不服を申し立てるもの、力を蓄えた社員が、独立をしてしまうと言う事象が沢山起きて来る、それを許してしまう。そんな大きいけれど、緩い会社。

上がだらしない結果が招いた衰退で、徳川のブラック企業みの雁字搦めの政治を行っているような会社では無かった事が、最大の衰退の原因だったのでは無いかと、素人ながらに思いました。

 

6.一揆発生からの

そんな上の物に対する不満が、ドンドン末端の方面まで波及して行くこととなりました。

 

民意や、宗教による教えにより、上への服従が当たり前で、反抗という選択肢が無かった身分の人たちが、集団化することにより、反抗するという行動を初めて起こした時代でもありました。

 

こういった末端まで、意識を回せる状態に無いほど、応仁の乱後の室町幕府はグダグダの状態でありました。

 

そして権力の分散が加速を始め、集権に対する秩序が乱れ、いよいよ室町幕府の末期症状へと向かって行くのでした。

 

7.下克上発生のカウントダウン見たいな感じでは無いでしょうか?

 

この時代、地方の御家人のTOPは中央の京都に滞在し、留守をNO.2が守る的な事が行われていました。

 

現在に例えて見ると、県知事が京都に滞在し、副知事が、その県の政を行う。

 

そんな中で、あろう事が、中央機関の衰退を良いことに、どさくさに紛れて、副知事がその県を乗っ取り、いつの間にか知事になってる‥‥‥。勝手に。

 

県知事が自分の県に帰って来たときには、今まで副知事だった自分の部下が、平然とした顔をして先の当主を門前払いにしてしまう😨。

 

                   名刺デザイン |アクオデザイン|

うーん。これは現代社会でも、会社の世界でも、政治の世界でも、よく見るスタイルですよねぇー。   

 

 おー恐っ。 

          男性ビジネスマンの叫び | 無料イラスト素材|素材ラボ

 

もう、義理や、人情、秩序や序列、世襲

 

そんな物は全くお構いなしの、力や能力、財力、カリスマ、そんな実力スキルで成り上がりを可能にした時代へと変わって行きます。

 

やはりそれを可能にしたのが、室町幕府の上層部が、応仁の乱以降、終始一枚岩になれずに、末端までの管理体制が行き届かずに、権力や、富が目の届かないうちに、大きく分散してしまったのが、これらの状態を作り出してしまった原因では無いのでしょうか?

 

金を持てば力を付ける。横暴になる。お決まりのパターン。近代では、それが国家単位で起きている事象なんでしょうね。家康みたく言い方悪いですが、ホニャララは生かさず殺さずが出来なかったんですねー。

 

この室町時代、中学生時代は、全く理解など出来ておらず、大人になってもそのままでした。

 

特段それでも生活に支障を来たした事や、仕事上の話題で義満の話をしたことなど一度もありませんでした。

 

でも、全く理解出来ていなく、最高に嫌いだった時代室町時代が、学び直しをしたときに、とても面白く感じましたねぇ。まぁ確かに明治維新も面白いんですがねぇ。自分の中では室町推しですね。

 

この、コミュニティが小さい中での、それぞれの人間の私利私欲のぶつかり合い。そして、目まぐるしく時代が変化していく。内政的に。現代社会の会社内のドロドロを見ているようで、本当に面白かったです😄。(半面、江戸は掘り込んで無いせいか分かりませんが、やはり、好きでわ無い気がします。)

 

さて次は中学生の教科書通りの進み方をしておりますので、しばし日本を離れてヨーロッパの歴史をやって行きます。少し、気分が変わって新鮮な感じがしますよ!。

 

長くなりましたが、最後まで読んで頂いた方、感謝します!。ではまた🖐🖐🖐。