今日は歴史上の人物についてのお話です。
皆さんは 和気清麻呂さん は知ってますか?自分も名前は聞いたこともあり、ゆかりとされる和気神社にも参拝した事はありましたが、実際に興味を持ったのは今年の初め頃で、それまでは実際どんな事をしたとか、いつ頃の時代の人とかすらも全く知りませんでした。和気清麻呂を知らないって人は、ザックリ書いてみたので是非読んで見て下さい。
興味を持つきっかけとなったのは、中田あっ君のYouTube大学日本史編。
その動画を見ている時に和気清麻呂のお話が、チラッと出てきました。エピソードを聞いてみて少し興味がわき、和気清麻呂の事を調べてみました。
するとこの方、日本の天皇継承の継続の危機を救った人。そんな以外にもキーパーソンな方だったんです。知名度が低いわりに意外な大仕事をしていたんですね。(何で知名度低いのかなぁ?)そしてまたその話の中身が面白い。登場人物も面白い。心情模様も面白い。そして人物的にも結構好きなタイプ。なのでこのブログのプロフィールにもパロって使わせてもらうきっかけとなったお話を簡単に、ザックリと、あくまで諸説が付きまとう歴史のお話なので、その辺を考慮してもらいつつ、自分視点で話をしてゆきたいと思います。
登場人物はメインキャラクターで4人程度
2.道鏡
3.和気清麻呂
4.桓武天皇
話の根幹部分に関わってくるのはこの程度で大丈夫だと思います。
この孝謙天皇だぁれ?? ってなりますよね。この人は聖武天皇(奈良の大仏を作った天皇)の娘さんになります。
ある時、孝謙天皇が病気になってしまい、その病気を付ききりで看病し、病を治してしまったのがこの道鏡。ネコネコ日本史によると”ゴロゴロの術”的な事が書いてありました。
とにかく病気でメンタル面もやられてる時に優しくされたり、そばにいてくれるだけで違った感情を抱いてしまいがちではないでしょうか?あの鬼のように見えた母親が風邪の時には優しく見えたりしなかったですか?(これこそまさしく昭和の感覚w。)今の母親はいつでも優しいのかな?
まさしく孝謙天皇はこの時、”逆ナイチンゲール症候群”みたいなものとなり、この道鏡に惚れてまいました。(この辺は諸説の塊なのですがW)
で、この道鏡ってだぁれ?ってなりますよね。
この道鏡は平たく言えば僧、現代のお坊さんでしょう。この時代は医療の発達など皆無だったと思うので、この僧侶のお祈り的なもので病を治したんでしょうね。(実際それで病気が治ったのかは解りませんが🤔。)
丁度その頃、天皇家の中でもイザコザがあり、この孝謙天皇、一度は天皇の座を退いていたのですが、反発勢力を制圧し、自分が2回目の天皇に返り咲きます。同じ人が2回目の天皇に就くこと、これを”重祚”「ちょうそ」と言い、長い歴史の中でこの重祚をしたのはたった2人(どちらとも女性)しかいない。一人はこの称徳天皇のひいひいひいおばあちゃん?。(ひいが1回位多いか?少ないか?ここら辺はちと曖昧です。)二人目がこの称徳天皇なのです。女性であり、2回天皇をやっているレアな天皇なんです。
だから 孝謙天皇と称徳天皇=同じ人物(同じ女性天皇)なんですねぇ。故安倍晋三が2回総理大臣をやったみたいな感覚だと思って下さい。
ここから道鏡が称徳天皇を後ろ盾にして、破竹の勢いで出世をしていくこととなります。でぇこのあたりの諸説が本当に俗っぽく面白いんですよw。まぁ興味がある方は色々調べてみて下さい。
破竹の勢いで出世して行く道鏡を、あろうことかこの称徳天皇、自分の子供もいなかったのも理由の一つでしょうが、
『この道鏡を自分の跡継ぎにしたい!』的な思いまで出てきてしまいます。
推しのホストをNO.1に持ち上げてやりたい的な感情と同じかどうかは解りませんが、道鏡も野心家だったのでしょう。道鏡の兄弟であった大宰府のお偉いさんとグルになり、
「この道鏡を天皇にすれば世の中は泰平!国はスバラシイものとなるでしょう!」
って宇佐八幡宮からの神様のお言葉がありましたよ!!
ってなことを言わせました。 ”おいおいおいおい!何言っちゃってくれてんのさぁ??” って天皇サイドはなりますよねぇ。 天皇の血筋以外の人が天皇になっていいんかい?ってな感じに。
ここでいよいよ主人公、和気清麻呂の登場です。清麻呂は貴族的な身分の人物。このご神託が本当の事なのか、嘘の事なのかの確認を、宇佐八幡宮現地に赴き、確認してきなさい、との命を受けることとなります。もちろん称徳天皇はこの事が事実であって欲しいし、道鏡もあの手この手でこの話を真実の物とすべく裏工作をしていたはずです。
当初は和気清麻呂の姉が宇佐八幡宮に行く予定だったのですが(姉も役人で中央の仕事をしていたため)、奈良から大分への長旅、女性では少し大変だという事で和気清麻呂がピンチヒッターとして送り出されました。この出発する時に道鏡が清麻呂に札束をチラつかせこう言います。
「清麻呂君いい返事を期待して待っているからね❤️」
札束を持ってこの言い回し。現代の大人の社会的に要約すると”空気読んでね”っていう事ですW。
長旅を終えいよいよ清麻呂が都に帰って天皇たちに報告です。この時、道鏡と称徳天皇は清麻呂に向かってウィンクしっぱなしだったと思いますw。「おい、わかってんだろうなぁ?」的なやつw
しかしこの清麻呂、札束で顔をひっぱたかれても正当な意見は曲げませんでした!!
「そんな神託は嘘でした!天皇の血筋は天皇家オンリーです!一般ピーポーなど言語道断!!」
だそうです。ここからがまた面白い。道鏡を天皇にして良いって報告を期待していた称徳天皇と道鏡。この進言に二人でブチ切れて、八つ当たり的に清麻呂を流罪にしてしまいます。そして流罪だけならまだしも「きぃー----😠!」ってなった称徳天皇と道鏡、清麻呂と姉を改名させてしまいます。
『お前なんか ”きたなまろ”だぁ!! あっち行け! あかんべー🤬』
・和気清麻呂 ⇒ 別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)
・広虫 ⇒ 別部広虫売(わけべのひろむしめ)清麻呂のお姉さん
小学生かよw。もうこの辺とか現代と変わんないですよねw。メチャメチャうけました。 清いから汚いですよW この称徳天皇のセンスもいいですよねw。(汚名返上の”汚名”ってここから来たんですかね?詳しい方どうでしょう?)
結局清麻呂は大隅国(現在の鹿児島県)に飛ばされることとなります。この時恨みを持った道鏡は清麻呂を暗殺しようとし、アサシンを大隅に行く途中の清麻呂のところに向かわせました。途中宇佐八幡宮による予定だった清麻呂。清麻呂は足にけがを負わされていました。迫るアサシン。逃げる清麻呂。その時奇跡が起きます。どこからともなく300頭ものイノシシが現れ、足を痛めた清麻呂を背中に乗せ、宇佐八幡宮まで乗せて逃がしてくれ、宇佐八幡宮に着いた時にはそのいためた足も治っていた‥‥。
まぁ多分相当盛ってますけど、盛る以前に事実ではないかもしれません。まぁあくまで伝説なのでw。ここまで来るとfantasyですねw。
称徳天皇も人の子です。とうとうお亡くなりになります。
清麻呂は放免となり、都に戻されます。称徳天皇と言う後ろ盾が無くなり、ギャクサイに立たされた道鏡はと言うと,今度は道鏡本人が流罪となり下野の国(栃木県)に飛ばされてしましました。この下野の国も私のホームグラウンドって事もありこの話に一層興味がもてました。
最終的に清麻呂は桓武天皇の代まで天皇家に忠義に使え、藤原京への遷都や、平安京への遷都の際には尽力を尽くし、天皇を助けたみたいです。
歴史にもしはありません。(歴サーにとっては有名な言葉なのかな?)
でももし、あの時道鏡に札束で顔をひっぱたかれ、「宇佐八幡宮の神託は本当でした!」と虚言を伝えていたとしたら、日本の中心が僧となり、宗教が、お坊さんが、仏教が、日本を納めるようになり、天皇家が断絶しそこからの歴史がガラッと違うものになっていたかもしれなかったのです。そんなにまでもこの道鏡の”宇佐八幡神託事件”はビックな出来事だったとつい最近知ったばかりでした。
この話で和気清麻呂に興味が出て、もっと詳しく知りたいときは他の詳しく書かれたブログなどを見て見て下さい!こんなザックリな話でも、話の骨格が分かっていれば深堀の時にきっと役にたつと思います。
この和気清麻呂。
なんかカッコいい。史実による一方的な情報なので、実際の人物像とは違うかもしれません。でも、札束で顔をぺしぺしされても欲で天皇家を裏切らなかったのは事実。なんかこのまっすぐな生き方にも少し惹かれ、こんな風になってみたいモノだという願望も込めて、本名とは何のゆかりもないですが、和気清麻呂をパロってブログのニックネーム”わけのたかまろ”とさせて頂きました。
ブログのイメージ写真は神社の駒猪。普通の神社は狛犬なんだけど、和気神社は狛犬の代わりに清麻呂を助けたと言う伝説のゆかりある駒猪みたいです。それも使わせて貰いました。(著作権とか大丈夫かな?)
この回からブログのシーズン2になります!
少し張り切りすぎて、少々長くなってしまいましたが最後まで読んでくれた方感謝します🖐️ではまた!